「下手の考え休むに似たり」とは良く言う。

だが、「休息の取り方が下手くそ」であれば、頭のなかの考えはツラさでてんやわんやとなり、「休めども休まず」の繰り返しだろう。

どうにもこうにも不器用なせいでどうしても気楽になれないなら、考えるより徹底して妄想してしまえばいい。紙とペンすらいらない。




かくいう自分は、年明けそうそうA型インフルエンザで寝込んだ。10年以上ぶりに39度近くの熱を出し、休息を取る以外になかった。

ふしぶしの痛さは1日半で消えたが、熱は数日続いた。本当はカラダが発熱で苦しくなるはずが、なぜだか学校を休める小学生のようにココロが白熱していた。

「すっげえ!こんなに熱出るんだ!」
「これって色々な意味でデトックスのチャンス?特に心理的に!」

白熱にうなされた感想は、こんなノーテンキな妄想ばっかりだ。




そんな中、以下の「本の形をしたハード」をおもむろに起動してみる。


上記の妄想は、「ランダム刺激(p48)」だ。繰り返すが紙とペンはいらない。欲しくなったら取り出せば良い。





もう少し、自分に聞き進めてみる。
「インフルエンザで休みだってさ。小学生のときの自分ならどう思う?」(p142、ルビッチならどうする?) 
→「やったぜ!」と、ある種の「優越感」を抱く

多くの人にとって「むべなるかな」だろうなぁ。遊びをせんとや、サボりをせんとや生まれけむ。






インフルエンザにせよ、うつ病にせよ、難病や大ケガにせよ、場面によるが、休む以外にどうしようもない時期がある。

以前チカラまかせ「とにかく休め!」と書いたものの、
 
「休むだけなんてさびしい/つかれる/何もやることがない/つのる罪悪感。。。」

から逃げられないこともある。 

インフルエンザならまだしも、難病や大ケガ、心的ストレスでは、きっとどうしようもない。




否、ここで「仮定破壊(p126)」「弁証法的発想法(p217)」にお出ましいただこう。
つらいならこそ「セレンディピティ・カード(p64)」を持ち出してもいい。

とっかかり段階では、図解もカードも不要だ。もっと気楽に、自由な妄想から始めたっていいじゃないか。

妄想を抱くことに、罪悪感など不要なのだから。





妄想がてらつらつら書いてみる。

・つらさが少しでも和らぐなら、いくら下品でもかまわないから、何もかも見下してしまえ。何もかも匿名でなら、暴言上等だ。2chでも良いから暴れろ。

・ただし暴力や犯罪や薬物やギャンブルには手を出すな。単純にもったいない。

・それでも暴力や犯罪や薬物やギャンブルに手を出しそうなら、本でもマンガでも何でもいいからバカみたいに読め。





だんだんと、「ノンストップ・ライティング(p42)」に近づいてきた。

・詩歌や絵画や映画やアニメ音楽でもいいから ジャンジャン触れろ。記事でも絵でも 書け 。作曲でも演奏でもいい

・全く興味のない本や音楽や映画や作品に、さも興味のあるフリをして触れてみろ。

・SNSでもブログでもニコ動ニコ生ツイキャスでもインスタグラムでもいいから、何かを作って、偽名でいいから駄作を多数公開しろ。

・どうせ世の中は矛盾ばっかりなんだから、2chで叩かれてもツイッターが炎上しても無視しろ。

・こう考えて動いて気楽になれたぞ、ほれ何がいけないんだ、説明してみろ!

・科学的根拠が見出せなくとも、その幸運は偶然ではない!、と信じてしまえ!



そこいらの自己啓発書だとかブロガーが言っていることに似てきた。これくらいのアイデア出しなら、妄想と白熱に任せて、サクッと誰でもできるのだ。




心の中のアマノジャクが語りかける。
「ヘイ!それでもなお、つらいままだったらどうするのさ?」
と。

すかさず、

「バカも休み休み言え。」

「頭とカラダはバカになりかかってんだから、バカなことは休み休みやれ。」

「ほれ、できるところからほんの少しだけ適当にバカやるくらいでちょうどいいだろ?」

と反論してみた。

するとアマノジャクは去っていったようだ。



認知行動療法読書療法については、既に読書猿さんがまとめている。

書いて癒されるには、読んだ人が自分から「書く」という動作をしなければならない。

不器用を自認するなら「読みながら書く」ことを試してもいい。

つらつら書けば、妄想が文となって踊り出す。妄想は、現実として共有されてしまう。

そのとき、不器用さは「味わい」と呼ばれるのだろう。

それでも、それでもなおつらいのであれば、どうすればいい?

不器用なりに地道に、知的好奇心に任せて知恵や知識を読み込むことが、「遠く感じる近道」である、と締めくくりたい。