「自由を謳歌する」という表現があるが、
自由意思で決定することは、
思い込みの産物である。
要は自分で決めているように感じさせて、
価値観に刷り込まれているだけということだ。
真面目な人ほど「そんなことはない!」と激怒しそうだが、
人間の思い込みが同調圧力やバイアスを作り、
その上で「なんとなく」意思決定に至ることなど多々ある。
ついうっかり冷蔵庫にモノがあるから食べてしまうことも、
ついなんとなく好みの外見をした人を応援してしまうことも、
すべては思い込みの産物だ。
これと真逆であるには、
「今までと異なる道を取る天邪鬼」
になるだけでいい。
要は「これは大多数のパターンだけど、自分は意図的に少数派の道を歩むぞ」と、
腹決めすればいいのだ。
それだけで「なんとなく肯定」ではなく、
「積極的に否定した上での肯定」にシフトし、
物事を分析する入り口に立てる。
肯定と否定の両面から、
どちらの可能性も読み取り、
敢えて既存の理解力に危機感を煽りを入れる。
そうすれば物事をバラすことができ、
光の当て方を変えることが可能になる。
現実解。
物事をニュートラルに捉え直すことで、
むしろニュートラルの真逆にある、
極論を打ち出せる。
いったん既存の知識を網羅した上で、
それらをへし折る「思い込み」は、
独自性を創る必須科目。
boxcox.net、遠藤武。