大なり小なり、組織という仕組みは「管理」を行う。
管理が失敗するとき、ディストピア顔負けの「ウソつき体質」が生じるのは、
そこに老化や硬直や自発性のなさの誤魔化しが生じるためだ。
それは価値を失った組織の自滅かもしれないし、
落ちぶれた先のサービスの悪化かもしれないし、
全ての事実を無視し、間違ったボキャブラリーで嘘の上塗りをすることかもしれない。
これをディストピアと言わずして、何と呼ぶべきだろう。
組織は「価値を創るために必要と思い込んでいる管理」を行っている。
これは官公庁だろうと、会社法を根拠とした組織だろうと、誰かが作ったネット上のコミュニティだろうと同じだ。
あちこちでよく聞く話だろうけれど、古臭くなってきたとか、知性がなくなってきてダレて来た組織ほど、
過去の成功体験にしがみついたり、外部からの知性や知識を無視し、使い潰し体質のタコツボ状態が常となっていく。
これは、栄華から落ちぶれているにも関わらず、偉そうに踏ん反り返ることから始まる。
やがて「ルールを守るのためのルール」ばかりに目が行って、
「組織の価値や面白さがどこにあるのか?」といった問いを放置していく。
問いや懐疑心や知性がないということは、 構造的にはウソを付いていることと同じであり、そこに管理など存在しない。
額面ほど付加価値がない分際で高額の固定費を食い潰す層と、
額面以上に貴重な時間の浪費ばかりが悪目立ちしてしまうのである。
残るのは、本質的に価値のないヒラメ人員と、本質的に価値ゼロの「老化組織内でしか通用しない『悪口学校』の好成績者」だけだ。
上記のような「集団的ウソつき」「悪口学校の好成績者」「浪費ポリティクス」をディストピアと呼ばずして、何と呼ぶべきか。
果てしなく逆機能し、悪気なくディストピアを呼び込んでいる事実は、これらの知識を知ると一層生々しく際立つ。
創業後数年のオーナー企業でさえ、この罠に溺れてしまうことは少なくない。
現状では、ティール組織という考え方が現れてきたことで、
「あれ?人が人を管理する発想って意味ないんじゃないか?」
と気付き出すことが、いくらでも可能な時代が到来してしまった。
現に、専門書や論文やテクノロジーを通じた知識や問題解決能力があれば、ごく少数の専門職を除いて、経験などいくらでも上位互換で上書きできてしまう。
このとき、経験年数程度で役職の上下が決まってしまう慣習について、合理性の根拠を求めることが出来なくなる。
知識と問題解決能力と行動力があれば、ヒエラルキーやノウハウのウソまでさっさと暴けてしまうということだ。
また、誰でも簡単に発信ができ、個人レベルで収益化が可能な現今とあっては、「逸脱を活用しよう。変わり者上等」という感覚が重視されてきている。
「ファクトや情報管理をせず、経験則に逃げることは、いっさい思考をしていない言い訳の証だ」
「管理」を強調していながら、知性や根拠のなさを感じたなら、それはそこにウソが混じっているという証しだ。
ちゃんと信頼できるものは「放射性管理区域」と「健康管理」くらいだよ。