「最近、何でも『シンプル化』ばかりが盛り上がって、本来なら考慮すべき複雑な要素を無視してしまっているように思えます。もっと物事を複雑なまま捉え直すことが大事ではないでしょうか?」
「シンプル化」のメリットを享受する者として、即答レベルでその良さをいくらでも何時間でも語れます。
その一方で「大枠ではその通りだが、個別で見るとそうとも言い切れない」という物事は、多数あると素直に認めるしかありません。
環境やエネルギーの問題や、医療と社会の関係など、価値観や粒度が異なるケースがこれです。
ありがちなのは、SNS上で「これは結論が出た」とか「問題なく運用されている」のような態度と言えます。専門家や業界関係者ではないどころか、基礎知識すら無視して、現状をやたらシンプルに肯定してしまう点にあります(尤も、陰謀論のような態度は論外ですが)。
これに対処するには、最低でも義務教育レベル、基礎で言えば高校レベルの知識を仕入れておくだけで事足ります。
とはいえ、大多数がそのレベルの基礎が不十分に終わることが厳然たる事実のため、シンプル化した知識のまま突き進もうとしてしまうのです。
そもそもですが、シンプル化とは「商品やサービスをユーザーに選んでもらうために、意図的にやっていること」です。
世の中に、スマホのようなシンプルな商品やサービスが広まると、ついうっかり「シンプル is the Best!」と繰り返し言いたくなってしまいます。その方が楽しく楽勝できると思わせてもらえますから。
とはいえシンプルさは、あくまで商品やサービスでカスタマーサクセスを得るというビジネスのような物事に向いているのです。価値観や粒度は異なっていては先に進まず、それではキャッシュが枯渇してしまいます。
要はシンプル化とはビジネスという競技の特徴なのです。日常の物事、科学、人間の悩みとは、必ずしもマッチしません。
数学の連立方程式(線型代数)や二次方程式には「解なし」が存在し、数学や統計学には「真の現象を全て記述するモデルを出しようがない(現時点での成果どまりであり、反証されうる)」のが事実です。
ビジネスにおいて物事をシンプル化するに際しても、その前段階では本音を出し、如何ともしがたいウジウジした思いに折り合いをつけた上で、シンプルかつ前向きに進んでいくという過程を伴います。大なり小なり差はあれど、根本的な違いはありません。この泥臭さは学びや学問も同じです。
とすると、ビジネスという限定的な場ではないにも関わらず、シンプル化ばかりしている場合、単に基礎知識が足りないか、バイアスを無視している可能性を疑えます。
現実解。
複雑な物事を複雑なまま捉えるには、いちいち事実からショックを受けずにいられるよう、心に遊びを持つくらいでいいのではないでしょうか。
その上で基礎知識が必要だよという事実はさておき、「どこで価値観や粒度が異なっているか」「自分は独自にどう動くか」という軸で見れば、事足ります。
また「事実はもっと複雑なのに…」と言える人は、そもそもほかの人にない才能が隠れている可能性があります。
複雑さと向き合うことは、限られた人しかできない競技だと先にわかっていれば、いちいち苛立つこともなくなるでしょうから。
矛盾しているようですが、言語化し観察していくことで、複雑なグレーゾーンの物事から、シンプルで本質を突いた価値が作れるのもまた事実です。
boxcox.net、遠藤武。