コンピューターゲームをやっていると「強くてニューゲーム」というモードに出会うことがある。
これは「ゲームをクリアした状態の能力値を保ったまま、ゲームのシナリオを最初からプレイできる」という、
ロールプレイングゲーム(ファイナルファンタジーやドラゴンクエストなど)にある、隠し機能だ。
あなたがゲームをプレイしたことがあるどうか、現在進行形でハマっているかどうかはさておき、
ゲームではないリアルの世界で物事がうまくいくとは、強くてニューゲームのごとき要素がある。
というのも、好循環を重ねていると、
「ああ、このトラブルは前に解決した物事とほぼ同じだな」
というケースに頻発する。
それだけ成長しており、仕組みが読み取れるようになったということだ。
特に、読書を通じて先回りし、生々しく学んでおくと、
「なるほど、今うまくいっている人も、ゼロイチ段階は徹底的に足で稼いで紹介を受けたのか。つまり嫌な人と深く関わらず、気の合う人同士で依怙贔屓しあったのだな」
「先回りしてお困り事例をかき集めて、自分の得意技を軸にお客様の成功(=カスタマーサクセス)を定義しておくと、自ずと『欲しい!』と手を挙げてもらえるのだな」
という、基本的な好循環の流れがよくわかる。
ベンチマークという言葉があるが、それは「強くてニューゲーム」の好循環を意図的に作り出すための考え方だと解釈すればいい。
好循環を重ねている実力者や成功者で、自分にタイプの似た人を真っ先に複数真似しておけば、少なくとも困ることはない。
好循環を作る勝ちパターンとは、実はとてもシンプルだ。
依怙贔屓しあえる人を確実に増やすだけで、すべて事足りる。
その過程で「ちょっとやりすぎたかな…」と思うかもしれないが、実は「やりすぎちゃって、ごめんね!」くらいででちょうどいい。
依怙贔屓とは、いっさい出し惜しみしないことであり、得意技で妥協せず、全面的に協力し合うことだからだ。
出し惜しみせずにプロとして出せるものを出した結果、それでもキャラクターが合わないというのは、そもそも相手がプロではないだけだ。
プロと素人は水と油のごとき関係で相容れない。
そもそも敬意をベースに関われない状態は、協力しあえる関係にない。
相手が仮に素人だとしても「ぜひ協力させてほしい!」という場合もあり、それが好転の決め手になることも多々あるから、やっぱり敬意が重要である。
自分の場合、サラリーマン時代の社会人2〜3年目で業界紙に連載執筆をしており、日経新聞や時事通信からもインタビューを受けていたおかげで、データ分析と仕組み化について連載執筆する機会に恵まれた。
「時流に即しており、当社としてこの分野をカバーしたいから、ぜひ書いていただきたいです!」
という、敬意をベースとした「依怙贔屓の依頼」だったのは、言うまでもない(そもそもこの分野について、しっかりした経験と多様な背景を持つ書き手が全然いないのだが)。
これもまた、過去の成功体験が上位互換を生み出した「強くてニューゲーム」のあり方だ。
現実解。
好循環とは、確実に成長することと同義であり、
「前にやったことの大規模版・高品質版・高付加価値版」
というアップデートが得られ、自分で強さを思いっきり実感できるということだ。
実際は「強くてニューゲーム」というゲーム上の出来事とは比べものにならず、笑ってしまうほど桁違いに成長していることも多々ある。
少なくとも、継続的な成長を重ねている人は「そのとおりだ」と頷くところだろう。
追記。
成長とはつまり「新しい自分と出会うこと」だ。
あまり表に出すことはないが、成長し続けている人は、どこかで自分のアイデンティティや価値観がいったん崩れる。
新しい自分に出会うということは、破壊的イノベーションだと言って差し支えない。
boxcox.net、遠藤武。