一言多いというのは、実は口先ばかりで行動しないという意味だ。
行動しない人ほど、理由付けのフリをした中身のない言い訳が得意である。
自己肯定感が低い割に偉そうで、やたらと常識から外れることを恐れる点も、共通している。
現実解。
そもそも、多数派は生涯ずっと、余計な一言が多い。
これはただ単に他者を威嚇して虚勢を張っているだけだ。
内心は、常にヒヤヒヤしている、完全な弱者なのである。
偉そうなわりに自己肯定感が低く、ろくに本も読まず常識をビクビク恐れ、
言い訳に逃げたり、強い人に告げ口したりするだけの人生も、
一つの生き方であることは否定しない。
そのような生き方は、行動を残して活躍する側からすれば、
強烈な反面教師として非常に価値がある。
「学びました。二度と対等に関わらず、視界に入れないようにしました。」
という材料としてしまえばいいのである。
それが結果として、ビジネスでも組織でも、
社会の高みと低みに分かれるのである。
もちろん、一言多い人は知らず知らずに他人の不興を書う、低い側だ。
もしそのような、一言多い側の生き方が嫌なら、
さっさと行動して「完了形」「やりました」をひたすら作っていけばいい。
行動とは「完了させて結果が出た事実」である。
行動の数を重ねれば、事実が多数集まる。
多数集めた事実を、読書を通じて分析し、学ぶのである。
例えば、まずは「ToDoリスト」を作って、ひとつひとつクリアしていこう。
同時に、言い訳をToDoリストで上書き消去していこう。
行動の消し込みで、言い訳を消去していれば、
一言多い状態など、事実が集まるおかげで消せる。
一言多い状態とは、ある種の妄想であると言い換えてもいい。
また、行動していれば、どこかで「嫌なこと」を消すか切り離すか、
腹を括って高みにいざなうという局面が必ずやって来る。
成長の結果、もともと関わっていた物事や人について、
「何だか違うなあ、バイバイ!」と感じて行動に移すなら、それは成長の証だ。
「この人はいいところがあるんだけど、もっとこうすればいいのになあ」と感じるなら、
相手が腹落ちして行動や行き方がついつい変わってしまうように、
何度でもあの手この手で、行動と言葉を誠心誠意の愛をもって重ねていけばいい。
このとき、「一言多い」はどこかに消えていて、
「不言実行」や「献身」という形で、
自己愛と慈愛に変わっているのである。
この真逆として、ドラマや漫画や小説や映画でありがちな話をしよう。
死ぬ間際に、辞世の句として、
「お前に苦労ばかりかけてごめん、私が馬鹿だった。」
と愛する人に後悔を言い遺す、テンプレート的な役回りは、
あまり自発的に考えず、常識に従って嫌な思いをさせられただけの、
やられ役であると相場は決まっている。
これは「いい話」に聞こえてしまうが、その本質は死ぬ間際にまで一言多く、
一切行動に移せず、成長のないままぼんやり過ごすだけの、
やられ役を続けていたという話でしかない。
こんな生き方を続けたいと心底願う人が、どれほどいるかはさておき、
デイリーレポートを読んでいるあなたは、成長したくてわざわざ読んでいるのだから、
一言減らし「不言実行」と「献身」を頭の片隅に入れておこう。
要は、何かが多かったら減らせばいいだけで、
その分、他に仕向けるよう身軽になればいいんだよね。
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遠藤武