怪しさとは、村社会から出ないことを、集団で肯定しているところにある。
怪しさのある物事は、村社会に収まって安心仕切っている状況だ。
知識と行動がある人からすれば「何かが足りないなあ」と映る当たり前の感覚が、怪しさの理由。
現実解。
そもそも怪しさとは、周囲を従順なだけの側近で塗り固め、
村社会を作って、成長が止まっている状況である。
これはいくら稼いでいようと、無差別に当てはまる。
そうなってしまうと、客観的な知識など問われず、
中身の評価も検証もアップデートもし尽くされない。
仮にオープンになっているように口先で言っていても、
実はものすごく閉鎖的でウェットな馴れ合いの環境なんだよね。
懐疑したら追い出されてるし、出戻りは絶対にダメ。
「馴れ合い禁止」という言葉なんて、絶対に出てこない。
(メルマガを一回解除したら、そのメールアドレスがBANされる、なんて例もある。)
村社会化すると、口先に逃げたり、自家撞着する原因が出来てしまうのである。
アップデートがされない程度で止まれるということは、
そもそも基礎力が根本的に足りていないので、
毛並みの良い立場には縁遠く、世界的な実績を出している専門家はそこにいない。
だからこそ、当事者が本気でやっていると素直に信じ込んでいても、
インプットもアウトプットも立ち居振る舞いもひっくるめて、
結果的に本気とは言えない品質で留まるのである。
この流れを全てひっくるめて「怪しい」と言えるのである。
一般に「怪しい」とされる物事について、その本気の対処法を挙げていこう。
不動産投資に出くわしたら、プロジェクトファイナンスやPPP/PFIを学んでみよう。
仮想通貨投資に出くわしたら、市況の歴史(南海泡沫事件から米相場や株式やFXやブロックチェーン技術まで)を学んでみよう。
マルチ商法や霊感商法に出くわしたら、代理店営業やマーケティングの仕組みを、網羅的に調べてみよう。
ウェブメディア(アフィリエイトサイト)が気になるなら、wantedlyでそれらを扱う企業にコンタクトを取って遊びに行けばいいし、読書でウェブ広告の仕組みを学べばいい。
要は、怪しい情報商材や自称プロや自称専門家に出くわしたら、参考文献や一次情報が必ずあることを常に想定すればいいのである。
リバースエンジニアリングとはそういうことだ。
本当のオリジナルなど何処にもないし、論文は全て引用文献が存在している。
ここで、怪しさの扱い方を再考しよう。
ここまでで見た通り、怪しい物事とは何らかの理由で成長が足踏みしている(継続的か瞬間的かはさておき、それは誰にも起こりうる!)ため、学んでカバーする大チャンスだと言える。
リベラルアーツ(人文科学・自然科学・社会科学)に基づく知的生産ができれば、
扱う物事がどこから引用されて、それにどんな言葉を使っていて、
更にどこまで本気で学んでいるかが、すぐにわかってしまう。
要は、真似や借り物ではなく、
本気でインプットとアウトプットと懐疑を行っているかが、
逆算してわかってしまうのである。
そこから本気の度合いがわかった後、挑戦する人がすべきこと。
わかったことに対し、自分の人生からの一次情報と経験を掛け算しよう。
それを他者にわかるよう、繰り返しシェアしよう。
100回でも1万回でも、同じトピックを別な言葉や表現で繰り返そう。
ロジックだけで限界があるなら、繰り返すことで気持ちを汲めばいい。
気持ちだけで限界があるなら、引用可能な知識からロジックを網羅して組めばいい。
たったそれだけで、
care giverとして突出できてしまう。
そのついでに、優しさとタフさで、
目の前の助けたい人どころか、
競合までも全て包み込めてしまう。
せっかくオリジナルを作るなら、知性も感情もカバーして、
これ以上はカバーしきれないまで本気でやるほうが、
思いっきりお得だと即答できる。
怪しささえも、愛すべき教師や反面教師として学べたなら、
目の前の怪しさから、更に大きなチャンスを頂けているんだよね。
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遠藤武