「経験年数が20年あります!」
「30年間、この分野に携わってきました!」
これが実績に裏打ちされているなら立派だ。
一方、そう口に出しておきながら、
目の前の仕事で実績を全く出せておらず、
自己弁護する人は後を絶たない。
これは「誇れるものは経験年数しかないので、仕事ができなくても許してね」という意味でしかないんだよね。
現実解。
想像してみよう。
ジェームズ・ボンドが、スパイとしての経験年数を誰彼構わず誇るだろうか。
経験年数があるということは、それはミッションで実績を出せているということだが、
実績を出せていないということは、ミッションの失敗であり、ミッション中に死んでしまうことを意味する。
更に言えば、現に生き延びている事実とは、ミッションを完了した実績の積み重ねである。
経験年数はあくまで結果であって、それを安易に振りかざすことは、
将来の実績を作る要素とは、どこにもリンクしていない。
要は、困難なミッションを遂行・完了することで、自分の未来を作っているのである。
何も、映画ではない現実の世界でスパイとして働く必要などはないが、
そんな緊張感を、心底愛おしく楽しみ続けている人は、どれだけいるだろう。
いっぽう、フリーランスや経営者で、経験年数を実績抜きに不用意に振り回す人を見かける。
これはただの過去思考であり、学んで現在を良くする意思などゼロだ。
年上が若手の成功者に対し、年齢を無理やり聞き出すことは、
特に「中身のない経験年数でごまかした自己弁護」である。
そういう人は学ぶ気などないし、成長が止まっているんだもの。
単なる過去の経験が通用しない異次元の物事は、
表面的なごまかしがどこにも効かない分、
素直に未来を作る上での価値がたくさん眠っているんだよね。
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遠藤武