「やればできる」の本質。

daily8 少数派と多数派。

「やればできる」の本質は、「できるようにやる」ことにある。

ただ単に「やればできる」を押し付けても、大多数はできない。

これは、下ごしらえである環境や、土俵の選び方で不利なままのためだ。

 

最初は、ただ「(他の人と同じやり方で)やる」ことから始めるしかない。

その上で、何が「できる」のかについての事実をかき集めればいい。

そうすれば、何が苦手で、何が得意かが見えてくるから、

自分がワクワクする独自のやり方で「やる」ようにすればいいのだ。

 

例えば高校の勉強が苦手なら、義務教育の内容に遡って、素直に基礎を回収する。

特に英語や数学で、中学レベルや高校受験レベルが盤石ではない状態だと、いくら大学受験の対策をしても安心してレベル上げすることができない。

事実これは大多数が陥る落とし穴だが、これを逆手にとって学び直すのだ。

あるいは、もし勉強が本当に苦手なら、小説や漫画から学ぶのもいい。

 

それでも「勉強」という考え方や言葉にアレルギーが出るなら、自分が少しでも好きで得意な分野のwikipediaを読み漁り、その歴史を紐解いてみるといい。

例えばファッションやコスメが好きなら、ココ・シャネルの生き様や名言をネットで読み、そこからちゃんと編集された市販の本で伝記を紐解いてみる、といったようにするのだ。

 

実のところ、1つの知識はどこかでほかの知識と、必ずつながっている。

少しでも自分に有利な切り口で入り込み、その上で連想クイズのように横展開していくだけで、知識の大枠にたどり着ける。

 

そこらにあふれる「やればできる」の大多数は、単に模範解答をゴリゴリ回収してアウトプットする、というものでしかない。

それはそれで間違ってはいないのだが、当てはまらないときの別ルートがない状態をうっかり放置プレイしてしまうのは、頭を使っているとは言い難い。

また、模範解答をゴリゴリ回収しただけだと、自分独自の別ルートを見つけられず、模範解答を繰り返し演じるだけで閉じて終わってしまう。

この閉じた状況が「やればできる」の正体を素直に外側から見ず、「やってもできない」「できたけど行き詰まった」を生み出す原因なのである。

 

「やってもできない」なら、別ルートを探し出して、自分の気分が上がるように持ち込めばいい。

実のところ「やればできる」側の人でも、独特な別ルートを開拓し、競争に見えないように突破するケースは少なくない。

 

疲れとは「別ルートを探せ!」という、天の声。

 

追記。

仮に出来なかったとしても、前向きに別な道が見えて来るのが、別ルートの面白いところ。

ダメならさっさと別な道を試すのも、別ルートの良さであり、

「やればできる」の本質だ。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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