トレンドを時代を追って10年ごとに見ていくと、
循環して似たサイクルを繰り返している。
景気循環論はその典型例だ。
それ以上に、特定の業界やジャンルが落ちぶれていく様子は、
10年以上前から予見されていることは少なくない。
テレビ業界が多数派向けになり退屈でガタついていた状況は、
当時のトッププロデューサーが90年台前半で危惧していた。
既に大衆化が始まっていたんだよね。
令和の今はメディアが完全に個人化しきった。
だからこそ実力と基礎力が露呈してしまった。
実力がイマイチのわりに祭り上げられてしまうと、
いくら売れてもどこかで怖さがへばりつく。
そうすると嘘をつかないと成り立たなくなる。
SNSが炎上するのは、少し前は美味しい炎上芸で済ませられたけれど、
今はただのチンピラと同じレベルにまで成り下がった。
これは単なる実力不足であり、当人は本当はそれがバレるのが怖いんだよね。
こうなると勇気が蛮勇に成り下がってしまい、
本音を醜く出すしかなくなる。
蛮勇に成り下がるくらいなら、
勇気を出して事実を認め、
上に遠くに飛んでいくしかないんだよ。
「うわっ!醜い…同じことを繰り返して馬鹿じゃないのか」
そう感じたら、自分が勇気を出して世界を広げるチャンスだ。
誰かが淘汰されるというのは、全体から言えば進化の入り口なんだよね。
そうやって後から脳を発火させたもん勝ちだと思えば、
二番煎じ三番煎じは、二周目三周目の大号令だと言っていい。
「強くてニューゲーム」のような、最初からレベル50とか99まで育った状態だ。
参考書だって二周も三周も繰り返したところから学ぶのだから、
誰かを参考にしてしまう循環があってもいいんだよね。
boxcox.net、遠藤武。