「自分の頭で考える」とは、一定の基礎知識なしには不可能だと理解しよう。
これを欠いた状態では「下手の考え休むに似たり」でしかないのが実態だ。

ここで言う基礎知識とは、
「人文科学・自然科学・社会科学のいずれの基本にも立脚した知識」
ということだ。
(二文字で言い換えれば、教養ということである。)


基礎知識を軸に自分の頭で考えるための材料として、
放送大学のオープンコースウェア(公開講義)が使いやすい。

上記リンクの講義のタイトルやシラバスの内容から、
「これは具体的にどういった分野(●●学)だろう?」
「主にどういう本を読めばわかることだろう?」
という問いへのアタリがついて、自分で文献を調べ出して、
論じるリテラシーがあれば、その分野の基礎知識は特に問題ない。


上記のようなアタリがつかないのであれば、以下のフローでとっかかりを仕込もう。

・まずは自分の問いや需要に即した講義を楽しむところから始める。
・その際、事物や世の中への問いを持ち続けて、
上記リンクの描く分野に向けて手を出していくことを頭の片隅に入れておく。
・「そもそも何故この分野が存在しているの?」という、あまりにも愚直な問いから講義を眺める。
・途中で見るのをやめても構わないと思い込む。

少なくともこれで「へえ、こんな分野があるんだ」という感想を残せる。
アタマにアタリをつけておけば、イメージが残せる。


「自分の頭で考えること」のカギは、こういってアタリを付けて、
知識(=先行研究)に立脚することだ。

もし敢えて極論を投げかけたいというときにも、先行研究に立脚しよう。
その極論が面白いかダメかを品定めできるし、
面白く建設的な視点を追加するチャンスを作り出せるからだ。

それどころか、科学的に見えて非科学的だったり、
そもそも非倫理的・非人道的だったり、
ただの暴論や無知や釣りでしかない発言に対し、
「それって、先行研究に目を通していないだけでしょ?」
「ああ、チェリーピッキングってこういうことだよね。」
「統計学のリテラシーが無いだけでしょ?」
と、一言で喝破できてしまう。

「自分の頭で考える」のなら、まずはそれを唱えている人が、
・学問や大学や教育制度を建設的に懐疑しているかどうか
nani gigantum umeris insidentes を実行出来ているかどうか
という点を評価するといい。

日本語圏のウェブで、実名で議論(という名の自分語り)をしている人に、
どれだけこれができているかを評価してみるのもまた一興だよね