まず「一般的知名度」は、「圧倒的多数派が表面的び知っているだけだよ」というバイアスがかかっている。これを肝に命じよう。


有名大学で言えば、東大京大(や地元の旧帝大・国公立大学)と、早慶あたりを除けば、一般的知名度は皆無だ。世界で活躍したり、卒業後の高待遇につながる大学など知られもしない。

企業で言えば、外銀や外資コンサルティングファームや外資IT企業などは、待遇と出身者のニオイを間接的に感じる程度だ。

資格職で言えば、医師はさておき、弁護士が関わる大手法律事務所や、公認会計士が関わる大手監査法人は、存在すら知らない。

いずれも、一般的知名度だけで生きる層が喉から手が出るほど欲しがる待遇へのコースが、上記に用意されているのに、だ。



このような残念な層の共通点は、
「一般的知名度がないに等しい=自分が知らないものには価値がない」
と思い込んで話を終わらせてしまうことにある。

端的に言えば、想像力や知識以前に、物事を知ろうとする姿勢がゼロなのだ。

この習慣で、本来取るべき選択肢や知るべき物事が見えなくなってしまう。不自由の始まりだ。



一般的知名度へ消極的に固執すると「どうせこんなもんだろう」という発想で終わる。

こういう「思考したふりの思考」は実にもったいないよね。