子供の成長を願わない親はいない。
一方、子供を持ったことがある人の中に、成長すなわち「経済成長」をあげつらい、これを頑なに否定する人がいる。
「弱きを助けて強きをくじく」という層(特に、自分が弱者だったノンフィクション作家やクリエイター)が、ついつい陥りがちな発想だ。
こういった人々の発想は、文化財や景観の保存という視点からは、実のところ保守策として一理ある。
自然や伝統を破壊し、特定の利益集団ばかりにお金を回す公共投資への反対運動に、命がけで身を投じたからこその発想ということだ。
公共政策が、公正と言い切れない判断を下し、民意の見出せない政策主導の(不要な)投資が目立つ状況では、「成長とはおおよそ不公正な成長」というバイアスがかかるのも無理もない。
一方で、このような層の方々に足りていないポイントは「社会とビジネスの適切な関係の理解」である。基礎知識の欠落で、「投資策や持続可能な経済成長を通じ、既存の不経済を緩和していく」という発想を持てていないのだ。
これはすなわち「適切な成長を通じて、守るべきものは守り、改めるべきものは改める」という率直な発想がないということである。子供にとっても事業にとっても、このような現実解が必須だということに、気づけていないのだ。
子育てに対する知識はつける一方、会社法も知らないし、リスク管理や内部統制や監査も知らないまま話をしているに過ぎない、残念な状況であると言える。
具体的な知識がないために「あーモッタイナイ!」のひとことに尽きてしまう難点がここにある。
地域保存に東奔西走したノンフィクション作家さんのグループの子供のひとりが、成長の結果、ミュージシャンとして知名度を上げている。
また、親の影響で読んでいた新聞を小学生ながらがんばって喧伝していた子供が、成長しミュージシャンとして知名度を上げている。
ここまでで書いたことは、自分の半径1メートル以内で見た、同級生と、その親御さんの事例である。
少しだけバイアスを振り捨て、知識と好奇心の扉を開いてみるだけで、思わぬ方向に成長できるという好例に違いない。