「歴史家はAIで代替できる?」がSNS上で話題になっているから、教育史という論争が残る分野を大学で学んだ立場として言ってしまおう。
新奇性(前提知識の制約がとても厳しい)とハルシネーション(制約が曖昧or無い)がごっちゃになっており、
かつ史料というデータをアナログ的・自律的に探して評価できない時点で、「AIには無理」という知的生産分野はどうしても残るまでが答えだ。
現実解。
AIを産業界で使う場合は「工場の一部」や「製造ラインの一部」や「研究開発資源の一部」として、人的リソース代替として扱えるが、
人間と距離が近い分野の場合は「分析パワードスーツ」と捉えられる。
アナログ的な評価は、プロの目線でラベリングしたり、ダミー変数を付すという対応手法で強化することができる(ラフ集合解析や灰色理論も加えて良いだろう)。
追記。
計量文献学という統計学を基礎とする文献読解の分野もあり、
日記など一次史料(ない場合は歴史書などの二次史料)から地震を読み解く研究もある。
これらはとてもアナログなデータドリブンであるが、データ化されていない史料の見定めと、解釈における前提知識の制約がものを言うため、計算資源だけだと対応しきれない。
追記の追記。
原著論文だとあくまで「強化役」である。
(原文p2)
“Our user goal vs. AI action distinction, combined with their classification into work activities, relates to a key question in the literature and public discourse around AI: to what extent is AI automating vs. augmenting work activities?”
(日本語訳)
ユーザー目標vsAI行動の区別は、業務上の活動における分類と結びついており、AIの文献や公的な場での議論の主要論点である「いかほどAIは業務上の活動を『自動化しているのかvs強化しているのか』」に関わる。
ボックスコックスネット、遠藤武。