「耳が痛いけど、これは納得する以外にないのかなあ。」
そんな言説に出会ったとしよう。
これは「一旦さっさと認めて、負けてしまおう」と促されているということだ。この流れを「知恵の指圧」と考えると、一旦負けを認める効果がわかりやすい。
一旦認めて受け入れた先に、自分の思考や行動の様式のコリがほぐれたり、あるいはコリのポイントが見つかる。耳の痛さとは「揉み返し」だと納得してしまうくらいでちょうどいい。
その上で「やっぱりこれはおかしいよ!」というコリがまだ残るなら、ほかの言説を探して揉んでもらおう。
いろいろな言説に揉まれることで、自分が「ゴッドハンドとして言説を出して揉む側」に回る大チャンスを自分から作っていける。
耳が痛い大胆かつ繊細な言説を、的確に腹落ちさせる側に回れたなら、組織やお金は人々は、この言説によって簡単に動かされてしまうことがよくわかる。
この言説に必要な基礎力とは、こんな具合だ。
・古典的で伝統的で競争力がある得意分野に広く深く細かく精通している
・挑戦し獲得した成果の価値が一般にわかりやすい(あるいは印象付けやすい)
・上記の全てを自分からいつでもあっさり放り投げる勇気と大胆さがある
・放り投げた先の世界を想像し、独自性を足しながら、また得意分野に戻っては離れ…のサイクルを楽しめる
天下り的で組織ドリブンな発想だと、このような基礎は作りようがない。
耳の痛さと大胆さ、この矛盾している状況って、言説を面白く扱う上での大ヒントだよね。