「仕事することと、従うことって、根本的に違うじゃん。この混同って、セコさの色合いでしょ?」と常々思っている。
高度プロフェッショナル制度は、外資やメガベンチャーが高度人材を相当に厚遇している。従って、働き方改革なんて「在宅勤務OK。人を厚遇して、もっと新しいことをやろう。終わり!」で構わない。
技術的な話をすれば「高度プログラミング人材」が世界的に全然足りていないし、もっと言えば、そんな人材を作ることにお金を投じて経済を回せばいいだけだ。テクノロジーと効率化にお金を出しまくれば、どのみち大きめの商社もメーカーも付いてくる。
これだけで、今からでも遅れを余裕で取り戻して、世界の流れをいくらでも作れるチャンスがあるんだよね。日本において、規模の経済がまだまだ生きていることのチャンスは、そうとう大きい。
この真逆。組織の出来事という小さな大嵐に従い従わされるだけの「ポリティクス」とは、圧力に逃げているに過ぎないのである。
それは、「高度でもないしプロフェッショナルでもないし何も学んでいない」というブラックなジョークなんだよね。