巷にあふれる「20代・30代について語る本」は、
丁稚奉公期間のあるサラリーマンや専門職のテンプレートを、
「組織論」という言葉を使わずに集めたものに過ぎない。
組織に振り回される人に向けて、
「だいたいこのように振り回されるから、こうやって心を保とう」
という内容の説明に終始するのはそのためだ。
優等生と劣等生の枠内で語れる層の両方にウケるのは、
どちらもテンプレートから楽しく逸脱できずに、
嫌々ながらくすぶり続けているからである。
「え?何でこんなに不自由で、わざわざそう言われないといけないの?」
そう思うとしたら、中学高校が私服OKの自由な校風だったとか、
専門性や得意分野を、遊びの延長で見つけたような層だろう。
そういった層は「20代・30代について語る本」は、
読んだとしても現状把握の材料にするくらいにとどめ、
自分でバックドアを開けるかのごとく好き放題動くほうが面白いと知っている。
このバックドアの開け方を、出来る限り誰でも再現し、
環境に依存させないように実行するには、
ホラクラシーという組織論を知っておくといい。
ホラクラシーをざっくり一言で述べると、
「自分のことは自分で決める」という組織のありかただ。
これは「既存の大きめの組織では完全に実行しきれない部分」がどうしても残りうる。
一方で、つまらない上意下達や柔軟性のない動き方が、
組織の成長を頭打ちにさせてしまう自覚が大きな組織にもあるため、
現実解として、ホラクラシーに近い要素が取り入れられていることも事実である。
この体系から眺めるだけで、20代だろうと30代だろうと、
それ以下だろうとそれ以上だろうと、世代を気にせず、
知識を使って自由を獲得する方向性を見出すヒントが得られる。
どうしても世代や年齢が気になって頭から離れないのなら、
古臭い上意下達組織の延長で「20代・30代」を論じた本を眺めつつ、
上意下達でないホラクラシーの世界を想像してみるといい。
古臭い側から(=上意下達を利用している側から)オピニオンを出している人が、
上意下達でない世界の到来をどのように捉えることが出来るか?
上意下達がなくなってしまったらそのような側の層はどこに行ってしまうのか?
これを想像して、少しでも自由に動けたら儲けものだよね。