「常識」の照らし方

daily0 本音たち。

常識とは、時代ごとにも国・地域ごとにも全く異なる、いいかげんなものである。

ズバリまともな正論を言う割に、サービス内容が明らかに口先だけの中身のない特定分野に特化したコンサルティング会社があったり、
論点をひたすら誤魔化して、自己正当化しようとするベンダーやサプライヤーがいたりする。
これはいずれも、過去に海外とのやりとりで直面した実例だ。
常識的に考えればおかしいことだらけである。
ここで言いたいことは「日本語圏以外は、デタラメやインチキにあふれているから気をつけろ」という単純なことではない。
彼らは彼らで、使える状況を活用しているだけだ。単に少しでも利益を上げるために、そう行動している本音がそこにあるだけなのである。
言い換えれば、日本語圏での「空気を読む」という常識が通用しないという事実がそこにあるに過ぎない。
よく言われる「常識を疑え」という視点とは、「まず本音から入れ」ということである。
少なくとも、この質の低い海外勢は「利益を上げたい」という本音に従って行動し、交渉しているだけだ。
このように本音を出し尽くし、かつ本音を形に落とし込むべく、
技術や法律や資金を、交渉を通じて活用するという行動は、
ビジネスでも研究でも「(世界の)常識」ということである。
新しい常識を作るとは、形に落とし込むことに過ぎない。
粗雑なものしか出せない組織や個人が、常識を作り続ける状況を甘受するのか、
そのようば「いいかげんなもの」が書き換わる瞬間を、新しく自分で作るのか。
自分でスパッとしたたかに動いて、上書きする形でそれを選べばいいだけなんだよね。
(補遺)
常識を調べ尽くすことで、常識を「ずるい!」と言われるレベルまで書き換えることが、始めて可能になる。
投資銀行やITベンチャーや、特定分野に特化しないコンサルティングファームには、このようなスキルを持つ人が少なくない。
「常識とは、非常識を見出すための手段」と言っても言い過ぎではないよ。
遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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