中央経済社さんのnote連載が始まったので、掘り下げます。
「妄想と行動」と言い切ったのは何故?
抽象と具体じゃダメなの?
確かに、
抽象と具体を行き来することで、
思考が中身を伴う。
具体的な事例や事実やデータを吸い上げて、
次に起こりうることや全体像を抽象化し、
先への指針を作るのである。
事実とロジックに基づく天気予報はまさにこの通りだし、
統計モデリングもこれに当てはまる。
同様に、組織の動向を読み取って、
全体像を立て直すことも当てはまる。
当然これらは外れることもあるから、
個別のケースは存在しても、
絶対にピタリと当たる模範解答は、
そもそも存在しない。
だからこそ、
具体的な事実から、
状況を抽象化して、
仮説を立てながら動くのである。
とはいえ、「抽象と具体」は、
あまりに論理的すぎて、
日常感に欠けるところがある。
統計モデリングのようにデータを扱えればいいのだが、
データがないことなど日常では当たり前だ。
そして、何よりグサリ!と心に刺さる直感も乏しい。
思考するとは「思い考える」ことであり、
「考える」ことだけではない。
「思う」という心の動きがないのは、
面白みに欠けてしまう。
インパクトを取って、グサリと刺す。
そのために「妄想と行動」と言い切った。
思い込みを具現化する点に特化すると、
単に思考するより、面白く思考できる。
組織のミッション・ビジョン・バリュー創りとはまさにこれだ。
リサーチアナリストとして、
統計モデリングを作っては壊し…を繰り返し、
論文を引っ張ってきて、
当時の顧客の日本銀行や金融機関と対話しながら、
統計モデリングを実装してサービスを作り、
顧客の本音に寄り添いながら、
アドバイザリーサービス(FAS)を構築し、
事業価値評価レポートを売り歩いて、
当時の所属組織で起死回生のターンアラウンドを果たした。
このとき実感したのだが、
コンサルティングのような「抽象と具体」の論理だけに固執すると、
本音や心の動きという一次情報が足りなくなってしまう。
そうなってしまうと、本音が反映されず、
サービスの手触り感や信頼感が失われる。
要は「理路整然と間違えてしまう」のである。
それじゃ何より自分も相手も退屈だ。
だからこそ、
・自分にとって面白い世の中とは何か?
・どうすればその面白さが受け入れられてもらえるか?
という、理屈を超えた本音の妄想から出発することで、
自分の行動を促し、
相手にもついうっかり行動を促し、
そうやって市場を捉えていくしかないんだよね。
現実解。
成長が頭打ちなら、まず妄想しよう。
ロジックを捨て、自分勝手に野放図に、
自分に最高の権限があったら、
何をするかを想定しよう。
ロジックは後付けすればいい。
とりとめのない本音の妄想からしか、
行動しようと思わないのが、
人間のサガなのだから。
追記。
言い切ると面白くなり、
ついうっかりイメージが湧いてくる。
文字通り、ついつい妄想と行動につながる。
boxcox.net、遠藤武。