大枠から捉えると、データ分析リテラシーが高まったあとの世界は、
ビジネスと技術の両取りができる人ほど有利になるだろう。
・ビジネスサイド(営業・企画・経理・総務など)で各業務を知る人が、ツールを通じて統計学やAIを使いこなすようになる
(リテラシーの制約で急増はしないが、10年スパンでじわじわ増えていく)
・エンジニアサイド(IT分野の技術導入やAI開発)や、付帯する戦略コンサルティング・ITコンサルティングは、「製造業と同じチャージレート1時間おいくらの制作代行の世界」に集約されていく
(現状と同じ)
・ビジネスサイドと見なされるデータサイエンティストは、だんだんとツール活用に置き換わり、エンジニアサイドの色が濃くなる
(分析しかできないという立ち位置の制約から、ITコンサルやSIerに近くなる)
・FP&A、金融専門職、M&Aといったデータ分析職は、デジタルツールを使いこなして成長や新規事業を担う側に回っていく
(一般的なビジネスサイドよりも、技術的な感度の高さや変化が強く求められるようになる)
とすると、結果として、
・技術に直接関係のない要素について、人間的なアナログ要素が強く求められていく
(本音が重要になる)
という流れが出てくることになる。
分析できると判断の精度が上がり、問題解決がしやすくなるが、
その分、単なる問題解決ではなく、本音でどう動くかが重要になるのである。
そもそもだが、ビジネスと技術の両取りができるケースとは、
「研究者や統計家や専門家、技術に明るいCxOや経営者、そこから派生する資本家」
のことであり、もともと少数派として突出している人だ。
このような人が生きのびるのは、いつの世も変わらない。
そしてこのような人ほど、自分と人の本音に寄り添い、
リーダーシップを発揮するのである。
逆に言うと、
技術に関わったことのない状態の一人親方はおろか、
技術にだけしか関われない状態の一人親方までも、
自ずとお払い箱に追いやられることを意味している。
さして本音に寄り添うこともできず、
リーダーシップが発揮できないためだ。
仮に技術について、
リテラシーやコストの制約という問題ががなくなったら、
後に残るのは人間の感情であり、
本音に寄り添うことがカギになるとすれば、
残るは超アナログな要素しかない。
アナログな観点から捉えると、
チャップリンの映画『モダン・タイムス』のような、
人間を歯車として扱うようなブラック企業の横行も、
なんの生産性も得られず不快になるだけの社内政治も、
素直に「そんなもん知るか!やめてやる!」と、
本音からNOを突きつけられるリスクがある。
現実解。
データ分析では、本音までは出すことができない。
せっかく分析していくなら、先にある世界がどうあってほしいかまで、妄想しておこう。
boxcox.net、遠藤武。