仕事は手段であり、人生の目的とは別物。

daily10 お金と実力。

「仕事術」「独立する方法」

のような本やコンテンツがわんさか出回っているが、

仕事は全て手段でしかない。

何のために仕事をするのかと聞かれたら、

「生活の糧であるお金を得るため」

という本音があるのは誰しも同じである。

でもどうせなら、

生活の糧であるお金の規模がレベルアップし、

かつ自分の自己満足や知的好奇心を、

承認欲求として満足させたいのは、

そもそも全ての人間のサガである。

であるなら、

のこのことその他大勢のように、

仕事を主語にしてしまうのではなく、

承認される内容のレベルを高めてしまうことで、

仕事「も」同時並行で巻き取るようにしてしまえばいい。

このメリットは、

きちんと学び続けていないと承認のレベルが上がらないという、

ストレートな事実を真正面から受け入れられる点にある。

お金だけしかない毛並みの悪い層とか、

過去の教育歴のわりに知性のない層は、

結局のところ、

学びつづけることをやめたのである。

SNSの炎上芸がもてはやされ、

ある種の「運ゲー」でしかないキャリア論が流行り、

情報の発し手のレベルが下がった今、

知的好奇心を持って学び続けるという、

ものすごく素直でストレートな営みが、

かえって新鮮なものとなった。

 

キャリアに本当に必要な知識は、

人文科学・自然科学・社会科学(=学問全般)から、

拾い集めて掛け算すれば、

すべてあっさり得ることができる。

これは繰り返しデイリーレポートで述べているが、

リベラルアーツとは本質的にはこういう考え方だ。

大学2〜3年生くらいのときに、

理系文系の枠組みを両方カバーするこの事実に気づいて以来、

「仕事に自分が従属させられたらダメだな」

「とすると、自分を主語にして仕事(の知識)を配下に置けばいいのだな」

「確実に知識を掛け算すれば、苦手も氷解し、自ずと勝てるのだな」

「有言でやるのか無言でやるのかは都度選べばいい。どのみち心理的な自由は確保されるな」

「この営みこそがリベラルアーツ(自由学芸=非奴隷の学芸)なのだな」

という実感で動いてきた。

少なくとも仕事で困ったことは一度もない上に、

体調を崩したあとのリハビリも兼ね、

大学在学中からやってきた複数の分野を掛け合わせ、

学び続けていた統計学をファーストキャリアにできた。

それどころか独立後も自ずと、

有利な立ち位置を創り続けることが出来ている。

仕事論として語るものはひとつたりともないが、

「単に知識の強烈な威力に助けられた」

という畏敬の念がある。

哲学者フランシス・ベーコンの言った、

「知識は力なり」は、

シンプルなルールであり正しいのである。

 

現実解の前フリ。

「部署違い」「業界違い」という理由で、

複式簿記・FP&A・財務モデリングは、

それぞれ別物のようにバラバラにされている。

このような知識の断絶化・断片化は、

人間が仕事という知識を配下に置いていないから、

起こってしまう、ある種のデタラメなんだよね。

こういうデタラメを繋いで埋めていくだけで、

あっさり勝ててしまう分野は、

ビジネスの世界に山ほどある。

 

現実解。

世界は思いのほかデタラメなのだから、

デタラメをつなぐことで、

世界と遊ぶことを目的にしてしまうほうが、

ビジネスも含めながら、

毎日清々しい朝を迎えられる。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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