「仕事術」「独立する方法」
のような本やコンテンツがわんさか出回っているが、
仕事は全て手段でしかない。
何のために仕事をするのかと聞かれたら、
「生活の糧であるお金を得るため」
という本音があるのは誰しも同じである。
でもどうせなら、
生活の糧であるお金の規模がレベルアップし、
かつ自分の自己満足や知的好奇心を、
承認欲求として満足させたいのは、
そもそも全ての人間のサガである。
であるなら、
のこのことその他大勢のように、
仕事を主語にしてしまうのではなく、
承認される内容のレベルを高めてしまうことで、
仕事「も」同時並行で巻き取るようにしてしまえばいい。
このメリットは、
きちんと学び続けていないと承認のレベルが上がらないという、
ストレートな事実を真正面から受け入れられる点にある。
お金だけしかない毛並みの悪い層とか、
過去の教育歴のわりに知性のない層は、
結局のところ、
学びつづけることをやめたのである。
SNSの炎上芸がもてはやされ、
ある種の「運ゲー」でしかないキャリア論が流行り、
情報の発し手のレベルが下がった今、
知的好奇心を持って学び続けるという、
ものすごく素直でストレートな営みが、
かえって新鮮なものとなった。
キャリアに本当に必要な知識は、
人文科学・自然科学・社会科学(=学問全般)から、
拾い集めて掛け算すれば、
すべてあっさり得ることができる。
これは繰り返しデイリーレポートで述べているが、
リベラルアーツとは本質的にはこういう考え方だ。
大学2〜3年生くらいのときに、
理系文系の枠組みを両方カバーするこの事実に気づいて以来、
「仕事に自分が従属させられたらダメだな」
「とすると、自分を主語にして仕事(の知識)を配下に置けばいいのだな」
「確実に知識を掛け算すれば、苦手も氷解し、自ずと勝てるのだな」
「有言でやるのか無言でやるのかは都度選べばいい。どのみち心理的な自由は確保されるな」
「この営みこそがリベラルアーツ(自由学芸=非奴隷の学芸)なのだな」
という実感で動いてきた。
少なくとも仕事で困ったことは一度もない上に、
体調を崩したあとのリハビリも兼ね、
大学在学中からやってきた複数の分野を掛け合わせ、
学び続けていた統計学をファーストキャリアにできた。
それどころか独立後も自ずと、
有利な立ち位置を創り続けることが出来ている。
仕事論として語るものはひとつたりともないが、
「単に知識の強烈な威力に助けられた」
という畏敬の念がある。
哲学者フランシス・ベーコンの言った、
「知識は力なり」は、
シンプルなルールであり正しいのである。
現実解の前フリ。
「部署違い」「業界違い」という理由で、
複式簿記・FP&A・財務モデリングは、
それぞれ別物のようにバラバラにされている。
このような知識の断絶化・断片化は、
人間が仕事という知識を配下に置いていないから、
起こってしまう、ある種のデタラメなんだよね。
こういうデタラメを繋いで埋めていくだけで、
あっさり勝ててしまう分野は、
ビジネスの世界に山ほどある。
現実解。
世界は思いのほかデタラメなのだから、
デタラメをつなぐことで、
世界と遊ぶことを目的にしてしまうほうが、
ビジネスも含めながら、
毎日清々しい朝を迎えられる。
boxcox.net、遠藤武。