「評論家は要りません」
そう揶揄するケースは多々あるが、
この本音は、
・欲しいのは手を動かせるワーカーだけです
・評価も論考もできない未熟者は要りません
の2択でしかない。
前者は評論家を揶揄している凡人の鳴き声なので論外だが、
後者は評して論じるフリをしているだけの「まがいもの」に痛烈に刺さる。
だいいち、本質的には評論は、
抽象化したシミュレーションなので、
そもそも実践につながる。
シミュレーションが甘いというのは、
それを修正することなど一切できず、
なぜ甘かったかを検証して取り下げもできず、
単に実力不足なだけである。
シミュレーションが甘い評論家というのは、
内的には評して論じる実力が明らかに不足している自称評論家だったり、
外的には何らかの理由で付与された肩書きだけで実力が伴わないお飾りポジションだったりする。
これらの力学を読み取って、
該当する評論家の実情を判別すればよい。
どこかで実力不足や誤読や傀儡がばれて、
消えていくまでがオチである。
現実解。
とはいえ、
本当に実力のある評論家は、
実践できる研究者でもあり、
傾聴の価値がある。
boxcox.net、遠藤武。