成長することとは、
そもそも矛盾を乗り越えることだ。
矛盾を乗り越えられないとは、
誰かにルールを委ねてしまう、
下請けということだ。
実力がない現状で、
実力がある近未来を夢見ることは、
大多数の人から「バカなこと言ってないで現実を見ろ」と言われて終わる。
あるいは自分から「バカなことを言い出してバカ丸出しだな…」と塞ぎ込んで終わる。
そんな「村人意識」は、
何も乗り越えられない多数派の発想だ。
とはいえ、
歴史の50年や100年単位で見ると、
村人意識の放置プレイは国家運営上困る。
多数派に最低限のワンコインランチのような知性を与えるために、
19世紀から現在の形のような義務教育制度が発達した。
これ自体は、矛盾を乗り越えるための素晴らしい発明である。
問題は、その結果、
「矛盾しないための横並び意識」が、
新・村人意識として不可避的に生じたことだ。
学校制度や試験の範囲内で、自分の社会が完結してしまう人が増えた。
「成長には矛盾がつきものだが、成長のためにある学校制度自体が矛盾を許容しない」
というエラーに陥ってしまった。
成長のために矛盾を許容するのは、
私が知る限り、
まともな大学教育や、
欧州や北米の小学校や中学高校の教育制度の一部くらいだ。
要は、実力が限定されているのである。
ここから何を伝えたいのかというと、
「実力のある人は成長とは矛盾超えだと指摘し、実力のない人は無矛盾のようにふるまう」
という、ビジネスで起こっている事実だ。
矛盾には成長のタネが埋められている。
実力のある人はそのタネを活用し、
実力のない人はタネの指摘すらできない。
その理由は、
「自分から根本をツッコミにいく知性と勇気がない」
ためである。
例えば「全米No.1の〇〇氏お墨付き!」のような、
大御所(という名の他人)の名前を借りたビジネスでは、
矛盾を指摘すると、
ブランドの神通力が剥げ落ちてしまう。
たとえ成長につながるとしても、
元ネタを批判することは許されないし、
先行研究から別解を持ち出すことも許されない。
このような状態が嫌なら、
矛盾を乗り越えるしかない。
現実解。
矛盾が許されないとは、
ポジションの低い下請けどまりということ。
成長に迷ったら、矛盾を許容し、
矛盾の乗り越えを狙うことだけ必死で追いかけ、
成長のための矛盾を許さない人とは一切関わらなければいい。
追記。
仕事術やビジネス書の類の大多数は、
一言に圧縮すると「矛盾乗り越え」である。
大企業や実力者には、
矛盾乗り越えエピソードが溢れている。
根本をツッコミにいくとは、最強のボケだもの。
boxcox.net、遠藤武。