「この問題は、答えがない」
そう諦める人は、専門家含めて少なくない。
これは正しくは、
「この問題は、答えとなる知見が引用できていない」
である。
要は、当てはめられる事例を引っ張り出せておらず、
単に勉強不足というだけだ。
例として、企業活動を挙げるなら、
IT部門では答えが出しきれない問題について、
サプライチェーン部門では既に答えがあるといったように、
他の分野に照らすとあっさり事例が見つかることなど多々ある。
要は、異分野では誰かが問題を解いてくれているのだ。
これと同様のことは、
経済学で物理学の知見が用いられるとか、
文学で統計学の手法が用いられるというように、
多岐にわたる分野で起こっている事実である。
現実解。
仕事ができなかった人が、仕組みに載せて10倍速で終わらせることや、
口下手な人が、人に好かれるための手法なども、
既存の誰かが問題を解いてくれている可能性が極めて高いと思っておこう。
さっさと数十冊単位で本にあたってしまい、似たような悩みを解決している人に習うのである。
それだけで、あっさり問題の答えを出すことができ、純粋にワクワクすることができる。
幸いなことに、今や書籍は手元のパソコンやスマホでその場で購入できるし、
ニュース記事やブログやSNSなどで、情報を検索して得ることもたやすい。
今ほど簡単に答えに行き着くことができる時代はない。
追記。
仮に数十冊の本を当たっても答えがすぐに見つからないなら、
それは今ちょうど自分しか見つけていない問題の可能性が高く、才能の種がそこに眠っている。
「ほとんど答えが存在する」と意図的に書いたのは、
本当に答えがない場合、独自の知見を世に出すチャンスだからだ。
そもそも百冊や千冊単位で本に当たってしまえば、特定の分野で頭角を表すこともたやすい。
答えがない世の中ほど、既存の答えでは捉え切れないスキを突いて、
自分の独断と偏見を模範解答にするチャンスだらけなんだよね。
boxcox.net、遠藤武。