プロであれば、自分の関わる分野について、
ある程度のアタリがつく。
あるいは全くアタリがつかずとも、
仮説を立てて「おそらくこうではないか」という洞察を出せるはずだ。
あるいは、アタリがつかないならつかないなりに
「その場合の対応策」を、理屈ありなし関係なく当意即妙に出せるはずだ。
そもそもプロがプロとして頼られる存在理由は、
そのプロしか持っていない独自の洞察である。
1時間当たり10万円や100万円といったフィーは、
その人しか出せない洞察の価値である。
時間単位の作業では決してない。
時間単位の作業は、自ずと限りなく安売りされてゆく。
だからこそ、自分がかかわる分野や市場で、
全く洞察もせず仮説も立てず「わからない」と言ってしまうのは、
プロ失格である。
わからないことはわからないと素直に認めるのは、
プロだからこそすべき素直な立ち居振る舞いだが、
自分が関わる市場の傾向など、
当事者として数をこなしている基本的な物事について、
アタリをつけず「わからない」と言ってしまうのは、
それだけで一発退場させられかねない。
単なる情報不足や勉強不足とも言えるし、
サラリーマンのような受け身感覚とも言えるし、
そんな視点すらどうでもよいくらい、
態度だけデカく悪い意味で自意識過剰だと言える。
ただひたすらつまらないと言い換えてもよい。
そもそもプロであれば、
何が面白くて何が退屈か、何が快適で何が不安か、
何が上等で何が下等か、何が好きで何が嫌いか、
極めて鋭敏に感覚が研ぎ澄まされている。
大胆さと繊細さを兼ね備えているのだ。
これがあって初めてプロとして生きていける。
プロとして生きていけるとは、
自分の実力が自他共に認められる形で上位1%を超えており、
プロ以外お断りの場に呼ばれるだけの洞察が出せることだ。
仮にこれが無い状態で死なずに生き続けているなら、
それはサラリーマンと同じか下請けどまりの、
目立たないその他大勢の層だということだ。
目立つために無駄にイキり散らす炎上芸は、
プロではないおバカさんでも出来るので論外だが、
仮にもプロなら、洞察で目の前の人を喜ばせて唸らせることが最優先だ。
現実解。
独立する人が増えているからこそ事実をありのまま言ってしまうが、
下請けと独立の区別がついていない「自称プロ」が増えている。
自称プロは、とにかくひたすら話が退屈だ。
大胆な発想もなく、感受性も乏しく、
理路整然と正しさをふりかざすか、
無駄な炎上芸で退屈されていくまでがテンプレである。
プロとして独立するなら、
わからないなりの洞察を出せるとか、
独自の見解や工夫を面白く構築できるとか、
圧倒的なチカラがないと始まらないと覚えておこう。
逆に言えば、退屈で真面目な人だらけの分野なら、
自分が良い塩梅でボケ役に回れば、
一発で場が盛り上がり、目立てる。
奇を衒う必要など一切ないが、
実力があるからこそ独自の切り口を出すと、
そのギャップで末長く愛されるというのは、紛れもない事実だ。
boxcox.net、遠藤武。