群れない人は、価値観がぶれない。

daily11 スモール分析。

群れたら負けだと、

何百万回も書いて言ってきているが、

群れないことの一番の効能は、

「価値観がぶれない」ことである。

 

群れてしまって、

直言できない関係が生じたり、

馴れ合ってばかりの関係が生じると、

自分の価値観を捻じ曲げることになる。

この一番怖いところは、馴れ合っているうちに、

突出した人を排除するか、突出しないように相互監視するようになることだ。

それもそのはず、馴れ合いの空間が壊れてしまうと、

価値観の前提が覆ってしまうために、群れる人を巧みに利用するのである。

正確に言うと、どんなに突出した実績を持っていようとも、

人はどこかで群れたがる本能があるため、

それを巧みに利用することはある意味で理にかなっているのだが。

なあなあの気だるい馴れ合いは、

突出した発想が持てなくなるゆえに、学びも教えもない。

何かの分野で名前が通っていた人が、

ビビって変に馴れ合って仕事を受けて、

怪しいチンピラの広告塔に成り下がるケースが多々あるが、

これは価値観がブレる典型例である。

もう少しマイルドな場合でも、

「あちゃー、これはこの人の本来の価値観とは関係ないのだろうけど、営業のためにしぶしぶ馴れ合っているのだな……」

と思うケースを多々見かけるが、例外なくそのような人は不祥事や問題発言で干されたり、

そもそもイケてない人とつるんで群れてしまって、何らかのダメージを受けることになる。

群れるということは、実力を下げてしまい、

価値観を壊してしまって立場を下げる入り口なのである。

 

現実解。

この対象法は、絶対的な価値観をどこかに用意しておくことにある。

例えば、絶対的な孤峰のごとき師匠を、心の片隅に用意しておくといい。

目の前に師匠を用意できないことも多々あるだろうから、私淑すればよい。

特に馴れ合い回避の観点から、自分の関わる業界と関係のない人がおすすめだ。

私淑の観点では、発言や価値観が著作で残っていればなおよい。

弟子の身分として教えを乞う場合、

全く群れずに淡々と直言を飲み込めばよく、

それは全く群れないからこそ成せることである。

群れずに自分から学ぶ限り、

価値観は磨かれ鍛え抜かれていくので、

その結果、よりあなたの価値観にピン!と来る人が出てくる。

そのような人に絞って淡々と関わり続けることで、馴れ合いを回避できるため、

価値観がぶれず、確実に成長し続ける。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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