群れたら負けだと、
何百万回も書いて言ってきているが、
群れないことの一番の効能は、
「価値観がぶれない」ことである。
群れてしまって、
直言できない関係が生じたり、
馴れ合ってばかりの関係が生じると、
自分の価値観を捻じ曲げることになる。
この一番怖いところは、馴れ合っているうちに、
突出した人を排除するか、突出しないように相互監視するようになることだ。
それもそのはず、馴れ合いの空間が壊れてしまうと、
価値観の前提が覆ってしまうために、群れる人を巧みに利用するのである。
正確に言うと、どんなに突出した実績を持っていようとも、
人はどこかで群れたがる本能があるため、
それを巧みに利用することはある意味で理にかなっているのだが。
なあなあの気だるい馴れ合いは、
突出した発想が持てなくなるゆえに、学びも教えもない。
何かの分野で名前が通っていた人が、
ビビって変に馴れ合って仕事を受けて、
怪しいチンピラの広告塔に成り下がるケースが多々あるが、
これは価値観がブレる典型例である。
もう少しマイルドな場合でも、
「あちゃー、これはこの人の本来の価値観とは関係ないのだろうけど、営業のためにしぶしぶ馴れ合っているのだな……」
と思うケースを多々見かけるが、例外なくそのような人は不祥事や問題発言で干されたり、
そもそもイケてない人とつるんで群れてしまって、何らかのダメージを受けることになる。
群れるということは、実力を下げてしまい、
価値観を壊してしまって立場を下げる入り口なのである。
現実解。
この対象法は、絶対的な価値観をどこかに用意しておくことにある。
例えば、絶対的な孤峰のごとき師匠を、心の片隅に用意しておくといい。
目の前に師匠を用意できないことも多々あるだろうから、私淑すればよい。
特に馴れ合い回避の観点から、自分の関わる業界と関係のない人がおすすめだ。
私淑の観点では、発言や価値観が著作で残っていればなおよい。
弟子の身分として教えを乞う場合、
全く群れずに淡々と直言を飲み込めばよく、
それは全く群れないからこそ成せることである。
群れずに自分から学ぶ限り、
価値観は磨かれ鍛え抜かれていくので、
その結果、よりあなたの価値観にピン!と来る人が出てくる。
そのような人に絞って淡々と関わり続けることで、馴れ合いを回避できるため、
価値観がぶれず、確実に成長し続ける。
boxcox.net、遠藤武。