どんなに優秀で頭が良くとも、
どんなに模範解答をアウトプットしようとも、
しつけがなっていない時点で、0点である。
しつけとは、プロかどうかを決める第一歩だ。
問題に対峙するには、逃げずに状況を把握し、責務を全うすることが求められるためだ。
患者の苦痛を目の前にして淡々と診る医師は、職務を全うしている。
クライアントのお悩みを目の前にしてがぜんやる気を出す弁護士は、職務を全うしている。
プロとしてやり抜く立ち居振る舞いが「しつけ」として発揮され、
答えのない場面に答えを紡ぎ出し、人を救うのである。
答えのない場面は、模範解答だけではどうにもならない。
責任を果たす「しつけ」のあるプロであれば、
仕事を依頼したいと多くの人が即答するだろう。
他方、模範解答の用意されたペーパーテストは「しつけ」を問われない。
責任はさておき、模範解答をクリアするための、模擬的な競技だからである。
資格取得は尊いが、医師も弁護士も資格試験だけで成り立たないのは、
職務を全うする責任の範囲外のためだ。
受験数学は尊いが、教養も研究も試験対策だけで成り立たないのは、
職務を全うする責任の範囲外のためだ。
あとあとで実務を軸とした研修が課せられるのは、
職務を全うするための段階を踏む仕組みなのである。
もちろんだが、模範解答をクリアすることは、最低限の素養である。
また言うまでもなく、試験そのものが悪いのではない。
とはいえこれを誤解し、
「模範解答回収大会の結果」が、
唯一無二の価値だと思い込む人が一定数いる。
その人は自意識過剰に陥り、
「こいつはしつけがなってないな」
とみなされ、自滅していくまでがテンプレである。
現実解。
しつけがないのは、お子様である。
しつけがあるのは、自立した人間である。
今も昔も、しつけが差を決めてしまい、
しつけのない人に限って毛並みが悪いアマチュアだが、
しつけのある人は相当練られたプロだ。
追記。
しつけのない人が好き勝手に言う持論は、チンピラが荒地で起こす暴力沙汰と決まっているが、
しつけのある人が好き勝手に言う持論には、雨粒一滴の優しさや愛がどこかに込められている。
boxcox.net、遠藤武。