「過去にアナリストから事業立ち上げ、SCM、FP&A、組織ゼロ立ち上げと成長まで経験されていますが、遠藤さんがサラリーマン時代に採用された組織を離れようと決断したきっかけはどんなことだったのですか?複数の企業を経験する中で、洞察があれば転職の際にぜひ真似してみたいです」
今だから正直にサラリーマン時代の思いを告白してしまうと、移籍・転職のきっかけは全て「採用された組織内でこれ以上学ぶことがもうない」と感じたときでした。
これは人材採用の成否の話に直結します。
自分の実力が、組織で求められる内容とマッチせず品違いを起こしたり、マッチしていて実績が出たにも関わらず組織とキャラクターが合わなくなるとどうなるか。
きれいごとを抜きにすると、その組織との敬意をベースにした上下関係が成り立たなくなります。
具体的には上司と部下の関係もギクシャクし、レポートラインが機能しなくなります。
上司は部下よりも抽象度が高いはずであり、より上から眺めることができるはずですが、その仕組みが壊れてしまうのです。
ということは、いくら頑張っても、もうその組織にいる意味はなくなってしまうのです。
否、頑張ろうとした時点でもはや終わりだと言ってもいいでしょう。
自分の場合、アナリストと並行し、20代半ば過ぎで船舶投資のFAS事業をゼロから立ち上げるというマイナーな経験をしました。
更にその上でもっとマイナーで人も少なく、なんでも自分で全体を理解し、かつ自動化して能率をあげていくことが求められる、外資のFP&Aに移ったためか、
経理部門や税務部門というメジャーな職人分野とは異なる「全体像を見る目線」が染み付いてしまいました。
これは特に頑張らずとも得た目線であり、実力だけで見れば100%プラスの武器として機能するのですが、
なまじデータ分析での事業立ち上げやFP&Aが、経理部門に特化したメジャーな職人技と勝手に解釈され、サラリーマン時代にマイナスに作用することもありました。
例えば、サラリーマン当時「データ分析が必要だからぜひ来て欲しい」という触れ込みで採用されたのですが、
実態はデータ分析のいらない、アウトソーシングしたほうが早いレベルの経理事務…という「品違いの採用ミス」のケースに直面し、
私は「学ぶものがない」と判断して3ヶ月でその組織を去りました。
その組織は、日系大手から外資化したばかりの企業だったので、私は外資の流儀そのままに加わったのですが、
マネージャー(当時の自分の上司)はメジャーな経理の立場として、日系企業の若手平社員から昇格したばかりの自分と同世代の人であり、
英語は流暢に使えたものの、私が当たり前のように持っていた「全体像を見る目線」「仕事を受け渡す仕組みづくりの目線」とそれに紐づくマネジメント経験が乏しく、全体を理解できているとは言い難い状況だったのです。
その元上司の名誉のために言っておくと、会計士の資格を持っていて、経理実務の知識は十分にありました。
ただし外資のFP&Aというニッチな経験や、効率化の一次情報があったようには思えず、あまり想像力を働かせている印象もありませんでした。
単にM&Aの混沌に巻き込まれ、組織を回して巻き込む経験がない状態で部下を複数持ってしまい、上司もすべて変わり、外資化によるPMIで長時間労働を強いられ、一気に環境が激変してしまったのです。
その煽りを受け、「データ分析」で品違いを起こしてしまうと、キャラクターマッチどころではありませんね。
誰が悪いということはどこにもないのですが、私が「辞めます」と言ったときの、その上司の焦った表情は、今でもよく覚えています。
この事実からきれいごと抜きに言い切ると、学ぶことがなくなったとか、キャラクターがマッチしなくなったことに起因し、組織と上下関係が成り立たなくなったときが、その人材の切れ目なのです。
現実解。
このような場合、合理的・論理的に内省すると退屈なるので、より遠く高くから見下ろしましょう。
そもそもですが、マッチしなくなったのは自分が成長した証であり、
その組織が時間と給料を出してくれたおかげで「生き延びながら成長を立証できた」と、
内心で小躍りするくらい、非常識に捉えのがちょうどいいのです。
自分の知恵と立場は、一生にわたり成長期を継続させることができます。
成長期には服や靴がサイズアウトしますが、知恵と立場はそれが健全な形で継続すると言っていいのです。
敬意や愛がなくなれば、その場から離れたくなるのは人間の本音であり、
敬意や愛があるからこそ成長しつづけられるのは、組織のマネジメントの基本であり、
素直な人間関係のありかたでもあると腹落ちすると、
組織が人間関係の集合体であることから、組織との付き合い方も淡々とうまくやっていけるでしょう。
boxcox.net、遠藤武。