既にバレつつあるから、言い切ってしまおう。
何らかの「熱量」をもって人を巻き込める企業は、働き方が柔軟である。
「熱量」のない仕事の企業は、働き方の柔軟性が次々と消え失せる。
「熱量」とは、コアとなる技術、歴史的な出自、非常識な成長の経緯など、コモディティ化とは縁遠いガッツや矜持のことだ。
一種の「しつけ」や「ビヘイビア(立ち居振る舞い)」と言ってもいい。
私が経験した中では、歴史ある業界(土木・運輸・通信)や、外資製薬会社、そして今関わる出版で、この熱量をとても強く感じた。
これらは総じて、国家プロジェクトを100年単位で担ったり、知見や新技術で人や世界を救ったりと、桁違いの実績がある。
激しいアップデートを重ねてきており、そこから業界の問題点や勝ちパターンが見えているため、柔軟性が実は高いのだ。
これと逆に、「規模が大きい外資のIT分野・総合コンサル分野」の場合、もう既に柔軟性がない。
平たく言えば、皆が憧れる外資企業の優位性は、モノ作りを介さない限り(あるいは資本主義にどっぷり浸かるポジションでない限り)、もはやどこにの無くなったのだ。
この理由はシンプルで、ちょっとしたきっかけで立場がひっくり返る圧力が常にあり、かつビジネスモデルが賞味期限切れで「冷たい」ためだ。
サービスがヒト(エンジニアやコンサル)に依存している分野であり、規模が大きいほどアイディアひとつでひっくり返されるので、
あれこれもっともらしい理由をつけて「働かせる」ことが最適解なのである。
巷で言う「トークストレート」も(直近の「完全出社回帰」も)、とてもニッチな「人出しビジネスモデル」においての最適解ということだ。
私はそういった企業と仕事をしたことがあるが、率直に申し上げて人出しの下請けしかしない・できないまでが事実だ。
これが災いして、歴史が浅い割にゴリゴリと売上を取る外資独特の圧力や統制だけが強く、
社会のあり方への意識もなく、各人が頭を使わず行動する「同調圧力」で物事が済んでしまうのだ。
面白いことに、今となっては日本の伝統ある企業のほうが、熱量も問題意識もしっかりしており、
エコノミックアニマルと揶揄された過去の日本など忘れ去るべく、フレックスもリモートもとことん徹底しているまでが事実だ。
とても興味深い逆転現象である。
現実解。
リモートやフレックスを徹底しながら、子会社の代表にさっさと据えてしまう日本の大手ベンチャーは、熱量がある。
これは熱量が低くムダに官僚的な「賞味期限切れ外資」の真逆だ。
この熱量は勝ちパターンとして、ちゃんと徹底していくと、勝てる上に面白くなる。
ボックスコックスネット、遠藤武。