大前提なのだが、そう簡単に人は変わらない。
変わる発想を持ち続ける人や、変わろうとするファイティングポーズを取り続ける人は、実はとても少ない。
というのも、変わらないほうが一見してラクに思えるからだ。
異常事態があってもそれを受け取らない状態を、恒常性バイアス(正常性バイアス)と呼ぶ。
これは脳と心を疲れさせないための機制であり、ストレスから身を守る機能である。
人間は、そのように少し鈍感にチューニングしてあるのだ。
一方でこれにそのまま従うと、災害を過小評価して逃げ遅れたり、ビジネスのリスクを低く見積もって損失を被ることになる。
平たく言えば、恒常性バイアスとは現状維持全般だと言える。
本能としては正しいが、頭脳プレーする上では、これはちょっともったいない。
成長したいのであれば、直感に反し、変えるべきことを変える行動を取るしかないのだ。
とはいえ、無理して変わっていくと、周囲や自分が疲弊してしまうので元も子もない。
だからこそ物事を細やかに知るため、読書や美術や音楽や文芸があり、
如何ともしがたい場面を、如何ともしがたいままに描写し、把握するのだ。
無論、何が何でも必死になってしまい、力んで失敗してしまうというのは考えものだ。
疲弊しない程度やカリカリしない形で先手を打っておき、
大ピンチでも淡々と行動することは、いくらでも可能である。
「変わっていく」とは、いきなり何が何でもガムシャラにやることではなく、
人間一般の特性や、自分たちの特性や好き嫌いから逆算して、コツコツできるように動くことなのだ。
現実解。
ジャブを打つかのように、淡々とジワジワと変わるほうが、かえって効果がある。
その理由は「そう簡単に人は変われない」という事実の間隙を突いているからであり、
自分の得手不得手をわかってやるからこそ変われる少数派に立てるのだ。
ボックスコックスネット、遠藤武。