「遠藤さんは、もともとどんな進路を選ぼうと思ったのですか?研究者になろうとしていたのですか?」
連載執筆や扱う分野から、進路選びをどうしたか聞かれることが多々あるので答えておこう。
実は「やりたいこと」というものは一つも決まっていなかった。
根本的に「作り手」になりたかったが、世の中の大多数は「作らされ」であり、
祖父や父親が扱っていたものや、住んでいた地域での繋がりをベースに、不利がついてまとうと知った。
仮に研究するとしたら99.9%は「作らされ」どまりかつ実質的な年功序列という壁が立ちはだかり、その影響でグレードが下がると見えていた。
一般的に就職をしてもこの前提は変わらなさそうだと直感していた。
データ分析を選んだのは、待遇とポジションのよさとテクノロジーの知見が全て掛け算されており、成り行きの産物である。
行政学を学んでテイラーの科学的管理法というマネジメント技法を知ったのをきっかけに、
「就職や起業という空間で使われる知識は大学で全て手に入る」と知り、
「圧倒的な実力に加え、ちゃんと権限を持つこと」が大事だと悟った。
大学一年の一番最初に履修した教育心理学から、応用行動分析学にたどり着いた(=権限を持ったあとの対応)のも大きかった。
教養学部という、理系文系問わずアカデミックスキル(=研究者の基礎力)を養成して英語でも日本語でも知的生産を可能にする空間だったゆえ、
「とても猛勉強して、世の中でとてもワガママに過ごせそう!」と悟っていた。
世の中で当たり前と思われている物事は、実態は知識不足や洞察不足どまりだと実感し、そこにチャンスがあるとよく見えたためである。
リベラルアーツという研究の基礎的素養を進路に活かす人が多かったのだが、
数学や統計学やテクノロジーに触れているうちにアナリストを知ったことで、
「これなら嫌になって辞めても、次がある!」と一人小躍りしたまでが事実だ。
世の中の99%が、基礎知識不足や洞察不足がたたり、行動が甘くなって失敗していると大学受験から大学後半で仮説を立てた。
今のところこの仮説は覆されていない。
逆に言えば、一定の立ち位置での経験と、基礎知識の2つが掛け算されれば、基本的に仕事で楽勝できるということである。
外資企業のFP&Aに行き着いたのは、大規模な権限を得られると知っていたからであり、
アナリストでの技術開発経験を活かしながら、最高水準の年収と権限を遅くとも30代前半に得られると見えていたためだった。
データ分析要素の薄いポジションにも就いたが、強引にデータ分析ポジションに変えることができると悟って、楽しんだ。
率直に申し上げると「年収と権限が向上しない・遅くなるから意味がない」という要素が混ざっていたため、
Excel作業やメール送受信をデータ化し、ほぼ自動化することで業務時間の8〜9割を自由時間にすることができた。
このおかげで空いた時間に知識回収をゴリゴリと楽しむことをしていた。
ほかデータ分析が求められないポジションも短期間だけ触れることになるのだが、
その企業は外資に買収され、補欠の先輩のような残念人材だらけになり、
そうなると結果的にオフィスごと消えたりと全員離散してしまうという事実も知った。
現実解。
これらから言えることは、「物事には価値や勝ちやすさがあるため、それを事実ありのまま知っておくべし」という目線である。
どんな進路や仕事をするにしても、価値が低い分野ではたかが知れているし、価値が高かろうとも勝ちづらい分野では意味がないのである。
幸いなことに、価値と勝ちやすさは読書で先回りして知ることができるから、進路選びは知識勝負と言い切って差し支えないけども。
ボックスコックスネット、遠藤武。