「仕事が嫌だ…」「本当は営業に行きたかったのに…」
若手でこういう壁に悩むケースは今も昔もあるが、令和の今はさっさと見切りをつけて退職する人が増えている。
ただし、職歴や実績がとても薄く、辞めた先が見つからないとか、退職を繰り返してキャリアダウンする悩みも尽きない様子だ。
この悩みは、大卒やそれ以上の就職や転職で、医師・弁護士・公認会計士などの難関国家資格がない場合、
・英語で議論とプレゼンと論文執筆(つまり研究や知的生産)ができる
・統計学の利活用に必要な大学レベルの数学やデータ分析をわかっている
という、「英強」かつ「数強」で解消するケースがとても多い。
これはいわばアカデミックスキルであり、知的生産(論理的思考と既存の論理を疑う懐疑を含む)の基礎である。
この素養が、頭を使うケースの全方位で尊ばれるのだ。
教養も研究も、キャリアを上げる就職や転職に必要なものも、とてもシンプルなのである。
とても表面的な話をすると、
上記を満たす英強であれば、少なくともTOEICのスコアで困ることはない800〜900点をあっさり取れるし、
上記を満たす数強であれば、SPIなどの筆記試験も問題なく及第点に達するはずである。
これらは、アカデミックスキルの本質である議論や執筆やリサーチからすれば、素養の断片としてあっさりクリアできる。
知的生産の本質は「アカデミックな文脈での英強かつ数強」にある。
事実をありのまま言うと、合格し入学した大学名をいくら誇っても、
大学の学びでこのような本質が備わっていない限り、
いくら入学大学を誇ろうとも、就活やキャリアで割を喰うことになる。
入学大学(=合格大学)のレベルを取り上げて、人の水準を品定めする発想は多々見かけるが、
本質を無視してしまうのは、単なる実力不足だ。
(あるいは、入学大学の教育研究の仕組みが貧弱だと事実を認めるしかない。)
一定レベルを超えていれば、英強かつ数強は当たり前であるのだから。
現実解。
仮に英強かつ数強になれなかった場合、大学という地の利を生かしたキャリアはあっさり諦め、
土俵のレベルを下げて楽勝できる分野を探し、そこから相対的に壁の低い分野を攻めるほうがいい。
少なくともそのほうが早く目的地につけるはずだから、素直にやるべきことをやればいいのだ。
ボックスコックスネット、遠藤武。