教育が退屈なのはなぜか。

daily2 素朴な疑問。

教える側が中途半端だと、教育は退屈だ。

そもそも、疑うためにこそ知識を活用するのであって、
教える側の都合でカリキュラムが定まるのでは本末転倒である。

日本語圏の「教育」と名のつくものは、試験対策や学校教育の域を出ず、
懐疑や知的生産や議論の下地はほとんど用意されていない。
これでは知的生産はおろか、人格陶冶など夢物語でしかない。

教わる側が抜本的に考え方や生き方を変えてしまうくらい、
強烈でシンプルな効果こそ、教育が本来発揮すべき要素なんだよね。

古今東西の知識人や賢人が、どんな作法や書物や分野や先行研究から学んだか。
現代では何が話題として生き残っており、何が未だ言語化されていないか。
現代の日常生活とどれだけ距離があり、どのような類似点があるか。

……といったように、知識に基づく疑い方の繰り返しで、退屈知らずの深遠さを得ることが出来る。
リベラルアーツのあり方と言っていい。

正直言って、これを一度経験してしまうと、便利かつ飽きないので、もうやめられない。
もっとこういった教育が増えたほうがいいのに、と切に思う。

..遠藤武

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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