目の前に見えるあなたや、その周辺の物事を、
他人は他人なりの言葉や知識や感情で解釈するからだ。
誰かが誰かを理解するとっかかりとして、
知識やロジックを重視していても、
それらはあくまで材料に過ぎない。
それ故に、何をどう頑張っても、誤解されることが、
どうしても避けられない場面が生じうる。
現実解。
そもそも、理解の不足を、
「信用不足」だと捉え直してみよう。
究極的に言えば、心底の理解者であることは、
「この人を信用してみよう」という好奇心の適用と継続だ。
その実は、理屈一辺倒ではなく、
得てしてイメージで進み、極めて情緒的だと言える。
同じ知識やロジックを持っていても、
言葉遣いや外見や、性格といった、
感性が優先される要素に「?」が出てしまえば、
理解を得ることが難しい。
文化が違ったり、知的背景に格差があったり、
嗜好に不一致があると、理解は遠のいてしまうのである。
自分と他者の置かれた文脈について、
ロジックでも感性でも、共通点の発見が出来ればこそ、
理解が可能になるんだよね。
..遠藤武