そもそもどういう存在が「エリート」なのか。

daily2 素朴な疑問。

いろいろな捉え方があるだろうけれど、
原理原則は、自然にも科学にも文芸にも趣味にも触れ、
身勝手やエゴ頼みや画一化に陥らず、
自由かつ前向きに過ごしている人のことを指す。

要は、知性と行動と懐疑を伴いつつ、
思い切り遊べる人であると捉えればいい。

知識を楽しく回収し、懐疑して、
知的生産の材料にするという意味において、
そのとっかかりの、自発的な詰め込みを否定するつもりはない。
仮に強引であろうとも、自発性があるのであれば、基礎を形作る。

ただし、イヤイヤ宿題漬けにさせたり、
イヤイヤ進学塾や予備校に通わせたり、
嫌でなくとも、模範解答を即答するだけで終わってしまうのは、
どちらかと言わずとも、身勝手やエゴ頼みや画一化の側だ。

表面的には、そういう層がエリートと呼ばれるが、
そこでは本人の環境づくりが無視されたり、
教育サービスを購入するだけだったり、
あるいは品質管理だとかISO9000の半端な真似事で終わる。
これでは、単にメディアや常識に踊らされた、
よくある消費者の姿でしかない。

そうやって消費しかできないのであれば、
消費財を作る側の意のままになるしかなく、
どうお世辞を言ってもエリートだとは言えない。

「親の言うことをある意味で聞かない」ことと、
「基礎知識は徹底して集める」ことと、
「そこから元気にストーリーを作る」という、
けっこうタフな矛盾に直面することが、
そもそも必須なんだよね。

..遠藤武

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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