新たな物事に挑戦できるタイムリミットはあるのか。

daily2 素朴な疑問。

根本的には、タイムリミットは「ない」と考えている。

舌先三寸を完全排除すれば、
タイムリミットは「ない」と断言するくらいの素直さがあって然りだ。
(実のところ、自分は極限までそうすることにしている。)

これと逆に、結果的にタイムリミットが生じてしまうのは、
特定の1つの分野に恋々としがみつき、
失敗から学ぶことができないという状況にある。

現状や組織や職務の常識に囚われ、舌先三寸を繰り返してしまうと、
無意識のうちに他者に忖度した模範解答探しに終始し、
自分が出した成果(=失敗+成功)と本音で向き合って、
十分に回顧する機会を逸してしまうのである。

この場合のタイムリミットの期間は、
大雑把に見積もって「10年程度」だと言っていい。
10年程度あれば、大雑把に見積もって、
小学校+中学校+高校や中学校+高校+大学をカバーできる。
また、大卒後10年ともなれば、
いっぱしに仕事の全体像や行く末を掴める人が多く出てくる。

この10年の間に、どっぷりとその期間の常識に浸かり続けてしまうと、
変わるきっかけを見出すのが億劫になってしまうのである。
結果的なタイムリミットとはこういうことである。

このタイムリミットを解除するには、
素直に負けを認めるか、素直に逃げてしまえばいい。

ふと納得して負けを認めるかもしれないし、
負けを認めるのに相当な年数を要するかもしれない。
逃げているようで、逃げることから逃げるかもしれない。

そういった怖さすらすべて、
素直に認めてしまえばいいのである。

その際も、わざわざ外に向かって、
「私は負けを認めました」などと言う必要もない。
まずは、内心の自由を徹底するだけで十分だ。

これは、次に向けて動く際の貴重な材料になる。
素直に負けを認めて逃げることに許可を出すことは、
負けを認めずに結果として悶々と逃げ回ることより、
明らかに自己肯定的で気が楽だ。

負けを思い切って素直に認めたからこそ、状況を客観的に眺められるのである。
だからこそ、素直に認めて逃げることさえ出来れば、負けを研究し、
次に向け根本的な勝ちを探りに動けるのだ。

このとき、新たな物事に挑戦するタイムリミットなど無縁になんだよね。

..遠藤武

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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