読み書きとは、それ自体が学んで生き残るチカラである
識字率が低い時代、本は超高級品だった。
学ぶことなど夢のまた夢だったのである。
現実解。
普通教育のある今、読み書きができれば、
今の自分が何を知らないかを知り、
古今東西で何が求められているかを調べ、
どんな失敗と成功があるかを知って、
行動することができる。
これを「学んで生き残るチカラ」と呼ばずして何と呼ぶべきか。
学べないとは、時の施政者に蹂躙され、
思考と行動を他人に奪われてしまうことである。
歴史に基づいてそう言い切れば、
読み書きを安易に他人任せにしてしまうというのは、
そもそも危険なことなのであると実感できるだろう。
学ばないことを不用意に誇ることが、
人間としてどれだけ危険かが、
よくわかるはずだ。
自分の実力で正面突破するのなら、
読み書き・知識・思考を他人に任せず、
正々堂々と「我ごと」として積み重ねたほうがいい。
知性や行動力や洞察力が、
信用を獲得するということは、
「我ごと」で生きているのである。
頭をつかわないでいることがみっともないのは、
時の施政者のプロパガンダと同じく、
「我ごと」を捨てているのである。
学ぶことが夢のまた夢だった時代は遠くなった今、
「我ごと」で読み書きし続けられる人が評価されるのは、
正々堂々と挑戦し続けることに他ならないんだよね。
boxcox.net、遠藤武。