執着の使い方。

daily5 爽快感。

生老病死の苦しみや、付随する争いや感情が、何となく執着を招く。

執着とは、そこから生まれる幻である。

せっかく執着するなら、幻を「先見の明」にすればいい。

 

現実解。

執着する物事が、揺るぎない事実に見えたとしよう。
執着とは実は、主観や思い込みや解釈による「幻」でしかない。
幻だからこそ、別な幻を創って現実に落とし込めば、執着の濃度は薄まる。

「そんなのはったりだ!事実は事実じゃないか!」
「事実で悶々としても、何も変わらず、つらい…」
そう感じるなら、
「事実とは、認めてしまえば、次のToDoを創れる」
という、事実についての事実を認めよう。

事実を認めることとは、事実から次のToDoを導くのに必要な動作だ。
「次のToDo」を導く幻とは、要は「先見の明」である。

若者は幻を見る」という言葉が、聖書にある。
これは「illusion(幻影)」「phantom(幻影、お化け)」という意味ではなく、
「visionary(先見の明)」という意味である。

ついつい執着して見えてしまう幻を素直に認めることで、
「visionary(先見の明)」として、
次のToDoを導いてしまえばいい。

 

幻を認めると、自分の執着を解釈しなおせる。
行動も考え方も、事実の認め方も、やりなおしがきく。

事実の解釈のために、足りない行動と足りない知識について、
スーパーマーケットの品物のように淡々と仕入れ、淡々と入れ替えればいい。

「あ、これが足りないな。こちらは古い。よし、意思決定して入れ替えよう。」
と、スーパーの店長のように、淡々とありのままに認識して動ければ十分である。
これと逆に、あなたがスーパーの買い物客や店員であれば、
バーゲンや品出しの動向に一喜一憂して、執着に走るだろう。

どちらを選ぶかは、人それぞれの選択肢に過ぎない。

真面目な人が「そんな殺生な!」と言い出しそうだけれども、
生老病死の苦しみや争いの苦しみを乗り越えるとは、
視点を地球から宇宙に上げるレベルの発想にある。
シンプルに、スーパーマーケットの店長の店員という、立場の違いになぞらえたに過ぎない。
根本的に引き上げることでのみ、解釈する側としての立ち位置が、ガラリと変わる。
「執着するほど、誰しも辛くなる」という事実を認めるからこそ、まずはさっさと視点を上げてしまうのである。
人は誰でも必ず死ぬことは、先見できる事実だ。
実際どのように死ぬ瞬間を迎えるかは先見できなくとも、生きているあいだを先読みし、自分の希望を通すよう動くことは、いまその場でできる。
視点を上げて先読みし、「先見の明」を得ることで具体化し、辛さを減らすことができる。
マインドフルネスとは、天空から眺める視点で「先見の明」を得ることだと言って構わない。

事実を認めてしまえば、事実とは冷たくもあり、また優しいものだと気づけるんだよね。

boxcox.net、遠藤武。

 

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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