そもそも大多数の人は、何も成し遂げずに人生を終える。
「自分の人生、何もなくて退屈だなあ。。」
そう嘆くなら、腹をくくって、独自性を出すしかない。
現実解。
「これは他の人は、やってないよね」
そんな独自の切り口を見つけたら、大チャンスだ。
「ちょっとまってくれ、自分に独自性なんてありゃしない!」
そう感じる理由は、実は単に基礎力が足りていないだけだ。
独自性がないという人は、
独自性がないという言葉に逃げて、
基礎力がないことをごまかしているのである。
独自性以前の問題だと気づく方が先だ。
独自の切り口を見つけるには、
ぜんぜん独自性のない物事を、
とにかくひたすら回収する以外にないのである。
例として、公立学校の義務教育で教わる内容を思い返そう。
国語、算数・数学、理科、社会、英語どれも大した独自性はないが、
これは全国共通の最も基本的な定食メニューということだ。
全国共通だからこそ、北海道と沖縄で差が出てはいけない。
東京と大阪でも差がでてはいけない。
隣り合った市区町村でも差が出てはいけない。
このとき、独自性がないことは、実は正しいのである。
基礎学力とは何かと聞かれたら、
「独自性がなく、かつごまかしようのない物事」だと、
即答して構わない。
よく「公立高校入試の問題で8割以上を得点すること」が、
基礎学力や実用的な教養のあることの基準だと言われるが、
これはごまかしの効かない、そしてこれ以上は簡単に出来ない、
国や役所や教育行政が扱う基礎の基礎だからこそである。
高校と大学以降で扱う知識は、
義務教育で扱う物事の応用である。
大人になってから英語を学び直すとき、
中学英語や高校英語や受験英語という枠組みが必ず出てくる。
大人になってから数学を学び直すとき、
中学受験算数や高校・大学受験数学という枠組みが必ず出てくる。
これは基礎が義務教育に根ざしており、
それ以降にある高校や大学での応用と切り離せないためだ。
基礎とは、絶対に覆したりごまかしたりできない、絶対的な存在だ。
応用とは、基礎を複数組み合わせた、独自性の入り口である。
独自性のない基礎に通じているからこそ、
猫だましのようなごまかしに逃げず、
人それぞれの独自性が思いっきり際立つんだよね。
そのように捉え直したとき、
「独自性なんてない。。」
と嘆く人は、独自性以前に、
単に基礎力が足りないと素直に言い換えたほうが、
具体的に何を穴埋めすればいいかが浮き彫りになると思うが、どうだろうか。
boxcox.net、遠藤武。