独自性。

daily5 爽快感。

そもそも大多数の人は、何も成し遂げずに人生を終える。

「自分の人生、何もなくて退屈だなあ。。」

そう嘆くなら、腹をくくって、独自性を出すしかない。

 

現実解。

「これは他の人は、やってないよね」

そんな独自の切り口を見つけたら、大チャンスだ。

「ちょっとまってくれ、自分に独自性なんてありゃしない!」

そう感じる理由は、実は単に基礎力が足りていないだけだ。

 

独自性がないという人は、

独自性がないという言葉に逃げて、

基礎力がないことをごまかしているのである。

独自性以前の問題だと気づく方が先だ。

独自の切り口を見つけるには、

ぜんぜん独自性のない物事を、

とにかくひたすら回収する以外にないのである。

例として、公立学校の義務教育で教わる内容を思い返そう。

国語、算数・数学、理科、社会、英語どれも大した独自性はないが、

これは全国共通の最も基本的な定食メニューということだ。

全国共通だからこそ、北海道と沖縄で差が出てはいけない。

東京と大阪でも差がでてはいけない。

隣り合った市区町村でも差が出てはいけない。

このとき、独自性がないことは、実は正しいのである。

基礎学力とは何かと聞かれたら、

独自性がなく、かつごまかしようのない物事」だと、

即答して構わない。

よく「公立高校入試の問題で8割以上を得点すること」が、

基礎学力や実用的な教養のあることの基準だと言われるが、

これはごまかしの効かない、そしてこれ以上は簡単に出来ない、

国や役所や教育行政が扱う基礎の基礎だからこそである。

高校と大学以降で扱う知識は、

義務教育で扱う物事の応用である。

大人になってから英語を学び直すとき、

中学英語や高校英語や受験英語という枠組みが必ず出てくる。

大人になってから数学を学び直すとき、

中学受験算数や高校・大学受験数学という枠組みが必ず出てくる。

これは基礎が義務教育に根ざしており、

それ以降にある高校や大学での応用と切り離せないためだ。

基礎とは、絶対に覆したりごまかしたりできない、絶対的な存在だ。

応用とは、基礎を複数組み合わせた、独自性の入り口である。

 

独自性のない基礎に通じているからこそ、

猫だましのようなごまかしに逃げず、

人それぞれの独自性が思いっきり際立つんだよね。

そのように捉え直したとき、

「独自性なんてない。。」

と嘆く人は、独自性以前に、

単に基礎力が足りないと素直に言い換えたほうが、

具体的に何を穴埋めすればいいかが浮き彫りになると思うが、どうだろうか。

 

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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