仕組み化とは、シンプルに言えば引用だ。
何が人間にとって快適か、という全体像から逆算し、
足りていない要素を引用し穴埋めすれば、仕組み化できる。
現実解。
仕組み化に苦労している人は、
仕組みをゼロから作ろうとしているために、
仕組み化がうまくいかないのである。
世の中の文物は、引用だらけである。
小説や映画やフィクション全般は、
聖書、古代ギリシアの悲劇や喜劇に遡れる。
アジア圏で言えば、四書五経を始めとした漢籍だ。
ここに更に、歴史書や哲学書という仕組みが入り込む。
現代の試験対策は、引用の集団的な訓練だと思えば、
仕組みとしてわかりやすいだろう。
既にある仕組みを使うという営みは、
アカデミックな分野の超基礎だ。
論文を書く際に、文献の適切な引用が必要なのは、
新たに論文として「仕組み化」する上で、
検証が可能なようにしておくことに他ならない。
グーグルの論文検索(Google Scholar)に書かれている通り、
「巨人の肩の上に立つ」とは先人がよく言い表している。
先人の知恵の上に我々は立っており、
知恵を尊敬の念を抱くことで、
更に知恵で高みに登れるのである。
仕組み化も、本質は「先人の知恵」を、
どれだけ借りることができたかによる。
数学の因数分解にせよ、
三平方の定理にせよ、
三角関数や微積分にせよ、
論理学や統計学や線形代数にせよ、
自分でゼロから作れるほど人生に時間はない。
ゼロから作ろうとする試みは素晴らしいが、
勇気を出して時間をセーブする引用こそ、
寿命をセーブしてくれる故に尊い。
だからこそ、既存の分野を借りて、
その上で仕組み化するほうが尊いのだ。
読書する人が尊ばれるのは、
仕組みの引用の材料をたくさんインプットしているからだ。
引用する人として尊ばれたいならば、
読書から自分の説をアウトプットする必要がある。
引用するということは、アウトプットが100%伴う。
ということは、誰かに向けて何かを語るしかない。
これに気づかずにインプットばかりしている人がいるけれど、
食事と排泄の関係と同じで、
インプットしたらアウトプットしないと、
帳尻が合わないのは人間の本質だ。
インプットしたものを、
自分なりに仕組み化出来る人は、
必要な箇所に向けて引用出来ている人だ。
これに気づけると、アウトプットの速度が一気に上がる上に、
インプットの精度も速度も量も桁違いに上がる。
逆に、インプットを桁違いに増やして、
アウトプットをついついやってしまっても構わない。
この方法は「アウトプットの仕組み化」とも、
「インプットの仕組み化」とも、
どちらとも言えてしまう。
仕組みがほしければ、
仕組みを真似していこう。
真似は引用の超原始的な基礎だと思っておけば、
話は早いのだから、気楽に真似すればいいんだよね。
boxcox.net、遠藤武。