ビジネスで「挑戦しろ」というのは、
実は根本的に誤りだ。
挑戦は個人的な成長のためのものであって、
ビジネスで行う投資対効果とは別だ。
ビジネスそのものにおいて、
実はただ単に挑戦することは、
無鉄砲ともいうべき間違いであり、
「勝ちやすい土俵を用意し、挑戦のハードルを下げろ」
「苦労を減らすための苦労をしろ」
が、おのずと流れを作ってしまうのである。
負荷がかかることや、
タフでシビアなことを、
真面目くさってやる時点で、
そのビジネスはそもそも設計ミスだ。
乗り越えるに値する挑戦など、
資本主義のルールに則る以上、
ビジネスに持ち込む必要は一切ない。
資本主義の原則で言えば、
単にノコノコと挑戦する時点で
「資本効率が悪い」
ということを意味する。
本当にやるべき挑戦とは、
自分との戦いであり、
ガンコな他人と我慢して、
一緒に過ごすことではないのだ。
ガンコな他人と過ごしたところで、
得られるものなど何もない。
ガンコな人ほど成長しないし、
下請け経営者やサラリーマン体質のままでしかない。
だいいち、ビジネスで求められることの99%は、
大学や大学院で行う知的生産でカバーできてしまう。
ここで言う知的生産とは、
議論(ディスカッション)と、
主張(プレゼンテーション)と、
交渉(ネゴシエーション)だ。
数字やテクノロジーはさておき、
全てのビジネスや仕事は、
この3つで成り立つ。
ここにどう感情が乗るかというだけだ。
独立前、最後にサラリーマンをやっていた外資企業の話。
日本法人の設立から入社したけれど、
本国で事業を売却するためのお飾りだったために、
本国側に明らかにやる気のない人があり、
社内政治がひどく、また他人を陥れてクビに持ち込む工作もあった。
率直にいって、これ以上の挑戦はなかったと思っている。
もう二度とこのような極端な環境に関わるつもりがなかったからこそ、
楽しんでいたのが、素直な自分の感想だ。
挑戦とは、自分目線のためにやることであり、
独立したあとにこのような状況に関わることは、
誤ったビジネスだと繰り返しておこう。
サラリーマンは、命までは取られず、
干されることもなく、
最悪でもクビになって終わりなのだから、
次の仕事へのマーケティングができていれば、
生き残ることができる。
この事実は、
ビジネス全般の経験でも、
全く同じことなんだよね。
boxcox.net、遠藤武。