胡散臭い物事の扱い方。

daily6 人と技術と成長。

実は胡散臭い物事には、

チャンスが溢れているんだよね。

それだけ参加者の偏差値が低いから。

 

自分まで胡散臭くなってしまっては元も子もないが、

ビジネスで胡散臭い分野を因数分解していくと、

ほぼ確実に何らかの学問に行き着き、

上位互換できる要素が見つかる。

読書や経験を通じて、

別な土俵にずらして、

シンプルな言葉遣いにするだけで、

胡散臭さが一気に消えてしまう物事は少なくない。

 

例えば「哲学書と自己啓発書は、本質的に同じ」という見方がある。

自己啓発は哲学に行き着くということだが、

これは「自分がどう生きるべきか」という人間の迷いを照らす点で共通しているためだ。

哲学書や、あるいは宗教学を因数分解すれば、

自己啓発書の言っていることに近づくのは、

ある程度本を読んだことがあれば、

だいたい想像がつくだろう。

もし気になるなら、

哲学や哲学史のわかりやすい入門などを読んでみて、

複数の著者の自己啓発書と照らし合わせると、

究極的に「自分がどう生きるべきか」が、

どちらでも求められていることがわかる。

プラトンでもニーチェでも、

生きる上での問いを立てて、

それに答えを出していって、

また問いを立てて…の繰り返しということだ。

 

どんなに自分に自信がある人でも、

どんなに自分に自信がない人でも、

最後には「どうやったら自分に自信が持てるか」という、

自分の存在を問う思考からは逃げられない。

自己啓発書はそれを哲学という枠の外のストーリーから書いていて、

哲学は学問という格式のストーリーの中で語られているというだけなんだよね。

 

胡散臭さも格式もまぜこぜにして、その差異に気づけると、

「どんなストーリーに格式に支えられていて、どんなストーリーに行動やお金がくっついて来て、どんなストーリーが胡散臭いか」

を問うことになり、差異を通じてストーリー分岐が楽しめる。

ストーリーには結末があり、

哲学は破壊的になるかもしれないが、

自己啓発はプラスを誘導することに着目している。

言ってしまえば、ほしい結果から逆算して、

自分が悩みを解消するためのストーリー分岐を決断することは、

「どうやったら自分に自信が持てるか」

「どうやったらそのための行動が出来るか」

を問う営みに他ならない。

ということは、プラスを誘導する形で哲学のチカラを借りれば、

自分のできる範囲から決断をしていくToDo作りの基礎調査が成り立つ。

次のToDoの指針が見えてくるのだから、

結局は哲学も自己啓発も本質的には変わらないのである。

胡散臭い物事は、あくまで売るための方便であり、

その根底にある考え方は、実はシンプルなんだよね。

勘違いしないでほしいのは、胡散臭い物事に、

そのまま食らいついてほしくないという一点だ。

 

あくまで本質をすくい取って、

願わくば自分のストーリー作りに活用し、

安っぽい胡散臭さを上位互換して、

頭角を表すことを狙ってほしい。

競技参加者のレベルが低いからこそ、

少しだけ素直に読書や学問や基礎学力をベースに学ぶことができれば、

あっさり上位互換できてしまうのは、ビジネスの事実でもある。

 

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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