アナリスト時代に、
色々な分野について、
記事やレポートを読んでいた。
何のために読むかと言えば、
「情報を網羅して、未来を創る」
という目的のためにある。
先に断っておくが、
アナリストの本来の仕事は、
「近い将来に、市場でこんな局面が起こりうるよ」
という予測を行うことだ。
それは「未来を創る」という、
更に抽象度が高い仕事には決してならない。
それでも、当時の自分はひっそりと、
「未来を創る」という、
唯一無二の視点から逆算していた。
そもそも、市場で株価やコモディティ価格が動くのは、
市場参加者が「未来はこうなる」と、
なんとなく思って行動する。
とすると市場価格は、
未来への期待感の最大公約数なのだ。
最大公約数から逆算して、
統計モデルを構築して、
「仮にこの予測が外れるとしたら、未来像が別方向に傾いたんだろうな」
と想像していると、
情報を網羅するたび大局観が見えてくる。
「次はこう来るだろうな」
「お、こうきたか」
という、市場そのものとの対話が、
どうしても必要になる。
この過程を経て、
「これって、予測しているようで、実はみんなで未来を創っているんじゃないの?」
と思うようになった。
もちろん市場が物理的にも時間的にも抱えられない物事は、
もちろん未来づくりの対象範囲外だが。
いっぽう未来に何らかの期待感を抱く人がいるのなら、
その期待感が本当に正しいのか、
もし違うならどの程度違うのか、
誰も気づいていない情報から未来が変わることはないのか、
という点に着目する必要がある。
だからこそ、未来像に先回りするには、
情報を集めに集めて網羅し、
メタ的に市場と対話する必要があるのだ。
未来像にどれだけ人の本音が入っており、
どれだけが希望を持っていて、
どれだけが諦めているのか、
ヒアリングし放題だったからこそ言うけれど、
他の人が取らない行動から逆算すれば、
欲しい未来を導くチャンスがあるんだよね。
ニッチな投資の市場だったゆえに、
未来を感じず、
即座に市場から撤退した人もいれば、
未来を感じて、
新たに市場に入ってくる人もいた。
その動向について、
「企業の体力から言ったら、もうやめておいたほうがいいよ」
とついアドバイスしたくなってしまう本音があった。
実のところ、
そのような本音の動向がチラっと市場に見えると、
群集心理のように動き出し、
大きな流れとしてトレンドを作ってしまう。
単なる将来予測は、おもねるだけであり、
率直に言って読んでいて退屈だ。
このような本音丸出しがあるからこそ、
マーケットレポートの仕組みは、
本質的には未来創りなんだよね。
もし売上や利益で行き詰まったら、
自分自身の市場で対話をすることが一番だ。
網羅してこそ、未来を創れる。
boxcox.net、遠藤武。