喧嘩は無意味。

daily6 人と技術と成長。

誰かと喧嘩する時点で、

喧嘩相手と同レベルに落ちていく。

SNSの炎上も、親との喧嘩も、

はっきり言って気にすることすら無意味だ。

 

自分の側が、

立ち居振る舞いを良くし、

筋を通しておけばいい。

それ以上騒ぎ立てる人は、

そもそも立ち居振る舞いが悪くなる。

相手にする必要すらないその他大勢だ。

小学校低学年を過ぎた年齢であれば、

喧嘩をし出すのははっきり言って、

「自分には実力がないしコンプレックスだらけだけど、

その事実とは向き合う勇気がないので許してね」

という無言のメッセージだ。

 

事実をありのまま言うと、

いちいち他人に悪態づいたり、

子供を持つ年齢の場合、

いちいち自分の子を縛りつけるのは、

負けが込んでこれ以上成長しないことの証である。

特に40代を境に、大人として社会的な格差が明確になる。

このとき「どうせ自分なんか」と腐り果ててしまうと、

そのまま底辺コースまっしぐらだ。

自分の歩むコースは常に自分で選べばよく、

特に15歳を過ぎて義務教育を終えるとき、

自分の選択肢に自分で責任を持つのである。

不勉強に逃げずこの事実に気づけた人から、突破口が開ける。

畢竟、人生とは、

創意工夫でどうとでもできる、

常に気付いて突破口を開くゲームだ。

突破口探しが創意工夫よりも環境に左右されるのは、

模範解答回収ゲームである試験対策くらいだ。

例えば大学受験はシンプルな仕組みではあるが、

時間の制約や、頭の使い方の基礎力といった制約があり、

家庭環境が悪いと、18歳時点ではどうしようもない要素がある。

模範解答回収ゲームはさておき、

それ以外の問題の解決は、

人の本音に寄り添うことと、

読書量に比例する。

要は解答の前提を自分から問い、

独自の仕組みを用意するためだ。

 

目の前の他人と喧嘩しているうちは、

独自性など得られない。

何にでもいちいち喧嘩をふっかける人は、

まともにコミュニケーションが成り立たない。

人の本音に寄り添うどころか、

自分の本音すら無視しているのだから。

 

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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