常識を疑うか、常識に従うか。

daily8 少数派と多数派。

少数派は常識を疑い、多数派は常識に従う。

「これがウチの業界の常識だから……」

というチカラない一言に甘んじているなら、

常識など疑って、早々に捨ててしまったほうがいい。

 

例えば、広告業界の常識と、

IT業界の常識が異なっていたとして、

IT業界の常識を取り入れれば、

広告業界としても実りがあるとしよう。

このとき、勇気を振り絞って、

広告業界の常識を捨て去り、

成長に向けて舵を切るべきだ。

私が客先にアドバイスするときも、

客先の業界の商習慣や常識について、

一旦逆から考えて疑うことを促している。

そうでなければ、未来永劫ポジションが成長せず、

万年二軍三軍のような、

成功とは縁のない状態に、

知らず知らずのうちに追い込まれるためだ。

 

究極的に言うと、

赤字続きや売上不足は、

「なんとなく」常識に従ってしまい、

「なんとなく」失敗グセがついているだけなのである。

世の中とは、

この「なんとなく」について、

まるで哲学者にでも変身したかのごとく、

思い切って疑ってみることでしか、

先に進むことができない仕組みになっている。

 

サラリーマンが多数派なのは、

サラリーマンという常識的な仕組みがあったほうが、

多数派の人々をまとめあげるのに楽だからだ。

「経済」という言葉は「経世済民」という言葉が原典だ。

これは「世を経(おさ)めて、民を済(すく)う」という意味であり、

統治を楽にするための仕組み化なのである。

それ以上も以下もないんだよね。

あなたがサラリーマンか否かはさておいて、

経営者としてリーダーシップを発揮したり、

雇われの身であっても部下がいたり、

下っ端でもプロジェクトのキーパーソンだったりするなら、

「どうやったら、常識を疑い、物事を楽に治められるか」

という発想を持つしか無いのだ。

ストレートに言うと、これは少数派の視点だ。

仮に常識に囚われていたら、

自分が物事を楽に治めるのではなく、

名前のない誰かの思惑に自分が治められて、

知らず知らずのうちに多数派に追いやられる。

 

「これがウチの業界の常識だから……」

という言葉は、

主体性や当事者意識がないからこそ、

チカラなく、何となく出てくるのだ。

 

だからこそ、

ほんのちょっとだけ勇気を振り絞って、

チカラを出してしまえば、

前向きに常識を捨てされるんだよね。

迷ったら、たったA4用紙1枚分の壁でいいから、

破り捨てるくらいしていいんだよ。

この差は紙一重でしかないけれど、

その紙一重がものすごく大きいし、

何よりスッキリするから。

 

自分で思っているほど、

他人はあなたのことを見ていない。

 

せっかくなら見てもらえるように、

「えっ?ほんと?」

と思わず言われるような、

紙一枚だけ超えた選択肢を取って、

「実は自分もおかしいと思っていた」

のように言ってもらえるきっかけを、

自作自演したほうが、

ただ単に楽しいし、

何より継続してチカラが付くんだよね。

 

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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