インプットとアウトプットの勉強を頑張ることは素晴らしいが、
インプットとアウトプットの繰り返しだけだと限界が来る。
限界で挫折する多数派と、スルリと進む少数派の差は、
想像力の差だと言っていい。
想像力とは、ごまかしようのない本音のことだ。
単にインプットしただけでも、単にアウトプットしただけでも、
それはただの理屈でしかない。
想像力は理屈で補うことが非常に難しい。
現実解。
理屈に邪魔されて壁に苦しむのだが、
ウンウン唸って苦しんで嫌な思いを続けるくらいだったら、
「もしこの壁がなかったらどうなる?」
と、勝手に想像してしまえばいいのである。
「何をバカなことを思っているんだろう…」
と、まるで自分がバカ丸出しに思えたら、想像は成功だ。
バカ丸出しに感じるということは、
常識から外れているのであり、
常識から外れるという、自分だけの「独自の正解」を得られたことになる。
壁を壊したり、壁を消したり、
実は壁に自動ドアがあったりする状況は、
自分の思い込みに理屈を後付けした、
独自の正解からこそ生まれるのだ。
独自の正解を出すのに必要なのは、
インプットとアウトプットを良質かつ大量にしたあと、
インプットもアウトプットも手放すことにある。
インプットしていてもアウトプットしていても、
ピリッとしないのなら、常識を手放す自由を享受することだ。
常識は10年や50年や100年単位で書き代わるものであり、
医療の発達による人間の寿命から、恋愛観や結婚観やジェンダーの目まぐるしい変遷は、
とても単なるインプットやアウトプットだけでは追いきれない。
素直な目線に立ち、自分の常識的な理解を超えた物事を受け入れ、
発想を変えていく想像力を駆使していくこそが、
人間が生存するための勇気というチカラと確信しているが、いかがだろうか。
boxcox.net、遠藤武。