リベラルアーツの意味。

daily8 少数派と多数派。

本来は「自由人のための教養」という意味だ。

現代では現実的に、

「自由人になるにはどうすればいいか」

「そもそも自由人の定義とは何か」

という問いが入ってくる。

この問いに答えるなら、

自由人とは、

「自分の土俵で確実に勝つ強者であり、かつ自分の土俵を鍛えられる知性のある人」

のことなんだよね。

要は「マッチョだけれども脳筋ではない人」と言えばいいだろう。

(古代ギリシアの哲学者であるソクラテスやプラトンやは、マッチョだったとされている。)

人間が自由を求めるからこそ、

リベラルアーツ=教養=学問の基礎が重んじられ、

それ以外の「職業的技術」と区別されていたのだ。

今は「職業的技術」とリベラルアーツが混同されている。

それだけちょっとした稼ぐチカラがほしいから、

「稼ぐチカラは自由への教養だよ」という解釈が成り立ったのだろう。

これは純粋に正しい。

本来のリベラルアーツは、

誰かの恣意的な解釈で成り立つものではない骨太さがあるが、

このようなボケ解答を認めることは、

人間が自由に過ごすための切り口だ。

どうせやるなら、

単なるボケ解答ではなく、

自分の分野で芸人として大成し、

異分野から学ぶくらいの自由があっていい。

自由学芸という意味のリベラルアーツは、

本来ものすごく懐が広くて深いのだから、

源流知った上でボケ解答も認めることこそ、

現代の自由ということだ。

 

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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