成功体験の扱い方。

daily8 少数派と多数派。

その他大勢は、成功体験にすがって醜くなる。

少数派は、成功体験を大事にしながらも、

成功体験をあっさり手放してしまう。

 

「うわ…お気の毒…」とつい思ってしまうような組織ほど、

成功体験を過去の素組みのまま強引に広げようとしてしまう。

実際は、何をどうやってもそれでは広がらないどころか尻すぼみなのだが。

 

ストレートに言うと、その組織にも経営者にも、知性と勇気の両方がない場合に頻発する。

具体的には、規制緩和や自由化で出てきた企業ほど、

中途半端な成功体験にばかりこだわり、

実力以上に自分を大きく見せようとする。

お金の流れにルーズになり、

嘘がバレて没落していくところまでが、

その他大勢ならではの末路。

 

この理由。

単に事実を無視しているだけであり、

事実を分解した際の変数を理解していないのだ。

理解しようとする気がないのか、

そもそも理解できる知性も勇気もないのか、

その両方なのかはさておき、

アイデンティティがインフレを起こしているんだよね。

成功した理由がマグレ当たりの場合、

実力が伴わない場合は、

それが運の尽きであると思うしかない。

最も、成功体験にすがっている人は、

往々にして「運がよかった」「ご縁があった」とすら言わず、

自分の実力を過信してしまい、

座組みが組めずに消えていくのだが。

 

ではどうすればいいのか。

運が良かったのなら、

その運を好きな人にシェアすればいい。

座組みでもいいし、商品やサービスを買うことでもいい。

お互いが互恵関係を結べる中でgiveしてgiveしてgiveしまくれば、

それだけで「出来た人だ…!」と認識される。

成功体験の使い方は、

「俺は出来るやつだ!」と威張り散らすことではなく、

「俺より出来る奴が来たらどうしよう…」と内心ビビりながらイキり散らすことでもなく、

お互いが「出来た」状態になることを目指すことにあるんだよね。

 

現実解。

やりたいことが達成「出来た」という過去形に持ち込めれば、

退屈な理屈を超えて喜ばれ、依怙贔屓しあえる。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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