その他大勢は、成功体験にすがって醜くなる。
少数派は、成功体験を大事にしながらも、
成功体験をあっさり手放してしまう。
「うわ…お気の毒…」とつい思ってしまうような組織ほど、
成功体験を過去の素組みのまま強引に広げようとしてしまう。
実際は、何をどうやってもそれでは広がらないどころか尻すぼみなのだが。
ストレートに言うと、その組織にも経営者にも、知性と勇気の両方がない場合に頻発する。
具体的には、規制緩和や自由化で出てきた企業ほど、
中途半端な成功体験にばかりこだわり、
実力以上に自分を大きく見せようとする。
お金の流れにルーズになり、
嘘がバレて没落していくところまでが、
その他大勢ならではの末路。
この理由。
単に事実を無視しているだけであり、
事実を分解した際の変数を理解していないのだ。
理解しようとする気がないのか、
そもそも理解できる知性も勇気もないのか、
その両方なのかはさておき、
アイデンティティがインフレを起こしているんだよね。
成功した理由がマグレ当たりの場合、
実力が伴わない場合は、
それが運の尽きであると思うしかない。
最も、成功体験にすがっている人は、
往々にして「運がよかった」「ご縁があった」とすら言わず、
自分の実力を過信してしまい、
座組みが組めずに消えていくのだが。
ではどうすればいいのか。
運が良かったのなら、
その運を好きな人にシェアすればいい。
座組みでもいいし、商品やサービスを買うことでもいい。
お互いが互恵関係を結べる中でgiveしてgiveしてgiveしまくれば、
それだけで「出来た人だ…!」と認識される。
成功体験の使い方は、
「俺は出来るやつだ!」と威張り散らすことではなく、
「俺より出来る奴が来たらどうしよう…」と内心ビビりながらイキり散らすことでもなく、
お互いが「出来た」状態になることを目指すことにあるんだよね。
現実解。
やりたいことが達成「出来た」という過去形に持ち込めれば、
退屈な理屈を超えて喜ばれ、依怙贔屓しあえる。
boxcox.net、遠藤武。