やめるべきことはやめる。
それだけで余裕ができるから、
その余裕でやるべきことをやればいい。
年齢が若いうちは、
何がやめるべきことかが見えないし、
周囲に忖度してしまうことも少なくない。
この態度について、
筋が通っていて美しく思えるなら、
それは凡人の大人が好んで歩んでしまう道だ。
本来押さえるべきツボを押さえれば解決することだとか、
やめるべきことについてそのまま放置しておくと、
少しでも疑う感性があるならどこかに違和感が残る。
まるで喉に刺さった魚の骨のような具合に。
自分にとっては、その発動は育った環境である谷根千から離れたことがきっかけだった。
もともと幼少期から行こうと思っていた親の通った学校は、
引っ越しで都内を離れてことごとく受験資格すらなくなった。
こんなことならもっと前から谷根千らしく(ある意味でらしからぬ?)、
お受験をねだっておくべきだったと一瞬思ったが、
それもまた小賢しいし、単に過去だけ向くのももったいないと感じた。
引越し先の地域で過ごした6年間は、本音ではとうとう慣れることがなかったまま終わった。
文化もキャラクターも距離も近いようで全く遠い隣県に全く溶け込めず、
「なんでみんなこんなに中途半端なんだろう?疑いもしないんだろう?」と思いながら、
「周りに期待することをやめる」「その本音を隠す」というぼんやりした覚悟の上で、
前向きに堂々と道を外れて、
周囲から猛反対を受けてもいちいち気にすることをやめることが、
足腰を強くする妥協だと気づいていた。
許してやる側に回るべし、
後で読んだ本にそう答えが書かれていた。
どこかでそう気づいてたと思う。
そうやって気づいてやめたおかげで、
単に生まれ育った地域だけでは、
絶対に果たせないことも具体的に果たせた。
Amazonで当時の記憶を買ってしまうことができる。
(谷根千時代の記憶は、森まゆみさんの著作で買うことが出来るが、それを上書きしたことになる。)
大学受験では大の苦手だった(もとい日本の学校制度を疑って何もしなかった)数学を克服し、
育った過去に立地する大学に行くのも手と思った。
無線工学やプログラミングを親が結果的に仕込んでくれていたことが、
知らず知らずのうちにハードルを下げていたのも大きかったと気づいた。
いっぽうで目の前から出てくる常識のままだけだと、
「日本の常識にピン留めされてしまい、何より人生を前向きにする疑いがゼロだなあ」
という危機感を明確に抱いていた。
数学のおかげもあって大学受験は困らなかったが、
「疑いを持たずこっちに進学するのは、その他大勢としてピン留めされる選択肢だ」と直観して、
周囲の大多数の猛反対を無視して、自分の主観と直観で進学する大学を選んだ。
そのほうが生まれ育った環境に前向きかつ高みから反逆できるからだ。
いやらしい話をすると、
遥かに格下の学校だけしか受験にも合格にもご縁がなかった先輩が、
その他大勢らしく自分のことでもないのに猛烈に反対や嘲笑していたのは、
本や映画のその他大勢の脇役のようでちょっと可笑しかったと記憶している。
これも後で本で読んだ通りの反応だった。
自分が育った環境から逆算すれば、
この反逆の選択肢は当然のことだったのと、
それを周囲にいちいち告げても言われた側が理解できず幸せにならないから、
「言わないことが優しさ」とぼんやり思っていた。
現実解。
やめるべきことをやめることがどれほど大事か、
いろいろな人を見ていて実感したことで、
やめることがいかに重要かについて、
脊髄反射レベルで行動できるほどに学ぶことができた。
やめ方とはシンプルで、
ボコボコになりながらも前向きにストレートに愚直に対応するだけでいい。
小手先の理屈などいらない。
優しいだけでやめられなかったばっかりに、
ぼんやりと自分の格を下げてしまうのは、
それどころかその時間を死んで過ごしてしまうのは、
自分の人生を生きているとは断じて言えない。
やめたいことを素直にあっさり手放すほうが、
本当にやりたいことに集中できるのだから、
試しにカジュアルにやめてみるくらいでちょうどいいんだよね。
やめるのが早ければ早いほど、
また本気で悩んで本気で学ぶほど、
ほかの選択肢はいい塩梅で自動的に出てくるから。
追記。
生まれ育った地域を離れたあとの別地域で、
当時関わっていた人に対し、
一見あたりさわりなくぼんやり仲良くしているようでも、
本音では、
「どのみちどこかで話が合わなくなって関わらなくなるんだろうな」
「このレベルの疑いのなさだとこのまま死んで終わりだろうな」
と、常に冷めた目で見ていてごめんね。
家に泊まって1on1で幾度となく話したごくごく一部の仲はさておき、
そうでない人に対しては例外なく冷めていたのが常に自分の本心だったんだ。
だからこそ心底気づけて、
だからこそ今がある。
自分が冷めっぷりを隠しながら抱いていた悩みよりも、
比較にならないほど絶望的で根深い悩みを解決することに、
当時なじめなかったその他大勢の人たちは資していることになる。
要は村八分にすることで押し上げてくれたのだ。
そんな今だからこそ「言わないことが優しさ」と言い切らず誤魔化し隠し選択を、
カジュアルにやめてしまうことにした。
どこかでやめることの大切さと爽快感に気づいた人が、
やめるための道しるべとして読んでくれれば幸いだ。
人は一般に面倒くさがりなので、
そうやって素直に言い切ることでしか、
絶対に成長できないから。
もっと追記。
面倒くさがりをやめるには、
理屈を超えて感情を焚き付けよう。
真面目すぎるあなたは、
これに気づいてやめる行動をしたほうが、
大義に見えない大義が得られる。
肩肘を張るはずのことを、
肩肘を張らないまま解決させてしまうのは、
悲壮感と無縁で、何より楽で楽しい。
boxcox.net、遠藤武。