これは日本独自の文化だ。
古くは科挙から続く試験対策文化には、
令和の今となっては反対も賛成も混ざっていると思う。
明治時代から続く予備校文化は、
データが溜まり続けており、
ノウハウとして続いていることは紛れもない事実だ。
予備校について重要なのは、
「データとノウハウが溜まり続けている」けれど、
「データとノウハウは検証され切っていない」という、
断絶が起こったまま、疑いなく信じられている点だ。
模擬試験のデータは、
あくまでその予備校ごとの経営判断があり、
経営のホンネを示した問題(=調査票)が反映される。
要は経営ノウハウを含むマーケティングの手段であり、
データとしてバイアスがどこまでどのように排除されているか、
母集団の偏りがどこまであるのか、
ブラックボックス化されたままなのである。
数理統計学を扱ってきている立場としても、
データドリブン文化がコアとなる今の目線で見ても、
ちょっとこれは古臭いと言わざるを得ない。
「入学後と卒業後のパフォーマンス」に、
何がどれだけ紐付いているかについても、
事実として厳密に言い切ることは出来ないものね。
とはいえ予備校の出す参考書は面白く、
今読んでも唸らされる秀逸な著作は多々ある。
これは経営努力の賜物だ。
玉にキズな要素を挙げてしまうと、
予備校文化や試験対策文化だけだと、
「アカデミックスキルがからきし…」
ということになってしまう事実がある。
「アカデミックスキルが絶対だ!予備校や試験対策はけしからん!」
と言い切ることは容易いけど、
少しでも日本語圏で育つと、
この恩恵は実は大きい。
とはいえ、アカデミックスキルは、
独立や転職で上位ポジションに行く上で、
ものすごく役立つのだけれど。
結局はどっちも必要だと知っておくしかない。
現実解。
わかりやすく言うと、
「英強かつ数強が最強」
という事実が残る。
予備校文化か、アカデミックスキルか、
そのどちらか一方では済まない。
ここ5〜10年で、グイグイとこの事実がクローズアップされている。
boxcox.net、遠藤武。